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どんぶり勘定のアラカン主婦の日々

気ままに綴ります、おばさんライフ

地元のきょうだいは手術はしないで済みそうだと

義兄からメールが、お肉のきょうだいにあったようだ。

転送されてきた。

決別に近い手紙を送った来た人には連絡が行くのだから
面白い。

とにかく腸管の閉塞したところにイレウス管を挿入し
内容物をなんたらかんたら

その治療の効果が表れて、手術はせずに済みそうだと

本人が精神的に弱っていてその方が心配とかなんとか

原文ままが送信されてきた。

お見舞い行かなくていいよね、とお肉のきょうだいには
連絡したが、良いんじゃないということで終わってた。

何か動きがあれば連絡があるって、と

情の無い人たちだと思われようと
前回のがんの手術や、その後二回にわたる入院には、お見舞いやら
お見舞金やらをちゃんとしたのだから、もう新幹線で往復することも
しばらくいいだろうに

とりあえずはほっとしたけれど
内心は、干されてみてよ、
強欲な人間の行き先は、寂しいものだよ、と
体感して欲しいけど、自分が強欲だと気づかないのが、
強欲な人だからね

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運動した後、帰宅したらメール

機嫌よくメールを開けたら
お肉のきょうだいからメールが転送されてきていた。

地元のきょうだいが、入院していると

九月の末から入っていて、腸閉そくなんだそうだ。

大腸がんの手術のあとは見舞った。そのあと、腸壁を広げるステント?を入れる入院の時は
娘がお見舞いに行き、その時病室で実家跡地をとなりの家に売り払ったことを
娘は聞いたのだった。

それ以来会っていない。お墓参りにも行っていない。
今年のお盆に、墓掃除中に倒れて搬送されたと電話があったのは先日

やっぱり身体が悪かったんだろうな
ずっと腸ばかりだな
70歳だったか

しかし、お肉のきょうだいは、先日決別に近い手紙を送ったはず
なのに、やっぱりそこに連絡が行って、私には情報を回して置いてと
言われたんだね

決別決別と言うけれど、私が生まれるまでご縁が強かった二人
子供もいない境遇も同じ
やっぱりなんだかな、と思ってしまった。

それにしても、いつかは来るだろう日が
そんなに遠くない日になりそうで、恐怖だ。

そんな心配している自分が、自転車に乗っててあっという間に
はねられたり、運動中にうっと胸を抑えてそれっきり
とか、わからないからね、どうなるか

だれが最初になるか 神のみぞ知る、だ。

きょうだいは他人の始まりにしても
恨んでいても
こういう時は、やはり胸がざわめくものだわ。

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実家関連はもう修復できないかもね

田舎のきょうだい(説明すると、墓掃除の事でうるさく、実家跡地を売り払い、
私とは相性が悪い人)
から、果物が送られて来たから、メールで ありがとうと言っておいた。

仕事中(もうやめたけど)にも家に居るときにも、地元のきょうだいは
お構いなしに電話して来るのだ。
私は今やメールしか受け付けない身体になっていて、
人の生活時間に、堂々と入り込むようなことを自分でもしたくないし
やられても不快なので、生活時間に入られるとちょっと・・・と一応不快感は示していたのに
相変わらずだ。70歳超えでは仕方ないのかな


お肉のきょうだいが、もう縁切りすると言ったのは
実家の解体費用は一つの財布から皆で出したのに
家の跡地を売り払った代金は、自分の土地だからと全部ふところに入れたことを
知って激怒したから
それも本人から聞いたのではなく、がんの手術後の、またそのあとの入院の
お見舞いに娘がわざわざ行った時に、娘に話したってわけ

地元のきょうだいは、あと他にも市街化区域の土地も相続しているし
事務所がのっかってる土地も相続している
婚家は駐車場も持っているのに
まだ欲しいんだね
夫婦二人だけだよ?


その実家関連も、菩提寺の住職に、地元のあんたが継げばよろしいじゃないですか
と言われたからと、勝手に相続して、ほぼ8割は自分のものにして
あとはハンコを押して送り返せと、一方的にやられた土地だ。
もう自分のものだから、どう扱っても構わないと思ったのだろうが
意外にも、こちらの感情がままならなかった。
離れているから、地元の事に疎くなっていた二人だったけれどね
感情が許さなかった。最後の砦を超えられた気分

父の死後、五年も経たないうちに、売り払った、それも親が大嫌いだった隣の家に?
何も介護もしなかったのに
掃除機をかけたこともなかったのに
そばすら茹でてやらなかった。

娘もショックだったという
自分の心のよりどころだったと言ったもの
もう誰も住む家ではなかったけれど、優雅で、木の香りがぷんぷんする
今は亡き、殖産住宅の建てた家
思い出の母親の実家だったのに
今はこんなところに住んでいるけれど、あそこがあるって思ってた
と、まあ親の実家なのに思い入れが凄くて
父の晩年の最後の方は介護帰省に行ってくれたから 母娘の
闘いの場所でもあったから、思い出が一杯なのね
27歳とかだと、自分の人生で忙しいのに、土日に行ってくれたのは
地元のきょうだいがしなかったから
本当に娘には感謝しかない。人生を潰したかもしれないのに

話がそれた

で、お肉のきょうだいにも果物を送ったのに
うんともすんとも言って来ないけど何でだと問うわけよ

知らないよ
メールもないし電話もしてない
忙しいんじゃないの?家業で
(たまにうちに遊びに来てることは知ってるのね、田舎のあちらも)
と言いながら、知ってるのは、お肉のきょうだいは、田舎のきょうだいの声も
今は聞きたくないこと
方言も聞きたくない。
縁切りする、墓じまいも勝手にして、もう帰省しないと手紙を書くと
お肉のきょうだいに言われたとき
ちょっと落ち着いて、私には子供たちがいる
もうお墓の事とか、実家関連とご縁が切れてしまったら
それこそ可哀想
いとこもいない、祖父母のきょうだいもいない、本当に何もないのだけど
ただただ土地縁だけなんだけどね

子供がいないからそう言えるのよ、縁切りしても その一代で終わるからいいだろうけど
私には次につながる子たちにとって、地元を縁もゆかりもない土地にしたくない
と言ってとどまらせたのに

今回、果物のお礼も無い、と電話しても出ないから、亭主にメールしてもらったという
地元のきょうだいから二度目の電話
そういう状況もいちいち電話してくるから重い
私は固定電話もずっと留守電にしているくらいだよ、と言っても
緊急の時にはどーするのだ、と言うんだよね

結果、お肉のきょうだいからメールで返事があったよ
仕事が忙しかったと言ってた
と、また報告の電話があった。

自分がしでかしたこと(土地を売り払ったこと)が、かくも下の二人の心を凍らせたことなど
気づいていないんだろうな
何で音信普通になってるか

で、また続けることが
お墓掃除中に倒れて、救急車で運ばれたことがあったのだけど(去年だったかおととしだったか)
その時は、違う列の人に運よく見つけられ
今回も掃除中に倒れて、これまた運よくどこかの母娘に見つけられ
また救急車で運ばれて、一週間、熱中症で入院していたという

だからお墓掃除が怖いし、自分だけが実家の墓掃除(草引きなど)を
やるのか
誰それの姉は千キロ離れたところから墓掃除に戻って来る
と、またその話か
数年前は帰って一緒に3人でやったじゃないの 
遠くから、拠点(実家)も無いのになかなか行けるものじゃない

そりゃお大事に

ガムを噛みながら、もう頬杖はつかない、のシーンのようだと自分でも思った
投げやりな返事

大昔の小説ですけど

以前なら違っていただろう
でも、どーしても許せないのだ。実家跡地を売り払ったこと
相続のもめごとに関しては、夫はイチ抜けた、だから
もう知らせないでくれ、いちいちもめごとを、のスタンス
お肉のきょうだいの夫は、20数年前の、戸籍筆頭者の母のもの
(不動産はほぼ母の名義だった)をまず相続するシーンで、
田舎のきょうだい夫妻ともめて以来、呆れてノータッチ
仕事が忙しいから、弁護士にお願いしますと言ったら、田舎のきょうだいが
べ、べ、べ、弁護士ぃ===となったわけ
そんなに欲しいのか、恐ろしい、弁護士だってよ、と大騒ぎ
なのに、いい場所を相続したものだから、お肉のきょうだいの夫こそ
田舎人のがめつさに呆れかえり、付き合いがなくなってしまったというわけ
そうして、父娘で相続したものを、今度は父の死後、また相続、と
もう嫌になる作業

だから、田舎のきょうだいは、もう誰も横やりも入らないし、(呆れられてるんだけど)
やりたい放題となったのだと分析している


しばらくしてお肉のきょうだいからメールがあった。
手紙を書いて送ったから

 えーーーそれだけはやめてと言ったのに

もう投函した。
実家の恩恵を一番受けたのに(土地をタダで貸してもらってその上で事業をしたり)
ずっと地元だから、親に助けられることばかりだったのに
自分の懐に入れた。
なんら還元してくれなかった
がめつさに閉口してる
帰省したくもなく、墓じまい法事は仕方ない
自分が一番大事 どれだけ自分が用事をしているかをアピールするばかり

もう投函したってことは
もう地元のきょうだいは読んでるよね
気性の激しい人だから
もう今後どうなるか分からない


こんな一家族でも色々あるのだから
世の中、弁護士さんとか必要だよね、ほんと

さて今後
お肉のきょうだいとの共同名義の土地があり
それも、あちら3/5 私が2/5とされてるが
子供がいないからきょうだいが先に死ねば、義兄と共同名義?
お肉のきょうだいが生き残っても、その後、私たちの子に渡る?
渡ったとしても、子供がいなかったら、国庫?
いや、夫のきょうだいの子の子に行く?

あーめんどくさい

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田舎からすぐ電話してくるから

電話が鳴った。
朝9時半ごろ

名前を見ると、地元のきょうだいだ

げ、出たくない
だけど、仕方ないから出たら

何々(息子の名前)から主人(義兄)にラインで返事があった
何度かやり取りをしてたが
きちんとした応対で、どこが悪いのか分からない
あれだけまともなのに 


私だって分からない
部活のキャプテン、現役合格までは普通の子だと思っていた。
まともに対応できるけど、ほかのことが出来ないから

と言いながら、もう放っておいて欲しい
人の生活時間にずかずかと電話してくるのが嫌だし
息子がラインの返事をしていたことも知って、いやだなと思ったのだ。

お肉のきょうだいではもめてて埒が明かないから
まだ表向きはもめていないこちらの方が、まだ御しやすいと思って
電話してくるのだろうけど、お墓掃除にも行かないし、お参りも行かないのが返事だ。

パートしているときも、リーンリーンとうるさかったし
出れなかったけどね、その時は

何でだろう、という感想は今更聞きたくないし
そういう世間話をしたくなくて
早々に切ったけど
すぐそのあとに、
体調がすぐれないから、これからは電話せず、ショートメールで送って
と送付しておいた。

こちらは何に怒っているかを教えてないから

でも、終わりだ。やってはならないことをした地元のきょうだい

寂しい老後を送ればいい。
下の二人に見放されてね

だから、息子とラインなどをして繋がって欲しくないんだけどね

地元のきょうだいは、こどもたちにはひどい顔を見せていない

まだ老父が生きていた時、耳が遠く、つえをつき始めた頃だったか
二人とも大学生を連れて帰って、こちらは介護
義兄は子供たちを焼き肉に
以前も書いたがまた書く
きょうだいは父と私の世話で、家から近い、田舎のイタリアンに車で連れてった
父が歩けないからね

店で舌打ちばかりされたのね そして、チェ‐ッ あー焼肉行きたかったー
チェーッ こんな年寄りの世話とか チェーッ
私が目の前に居ますけど

早く食べろ チェーッ
家に帰りたい、あー焼肉 楽しそう
と鬼のような形相でイライラとせかされて、 老父は耳が遠いけど
不穏な雰囲気は感じていたのだろうけど、いかんせんもう弱い立場に成り下がってて
(昔の父ではなくなっている)
そして私は上に逆らうことが出来なかった末っ子で、
車が無ければ実家に帰れな買ったので、暴れるわけにも行かず
喧嘩して置き去りにされてもダメだし、で
じっと胃が痛くなりそうになりながら、食事を口に運んだってわけ
その時、ちゃぶ台返しをしてもよかったけど
今ならそのまねごとが出来るかも知れない

あちらはきょうだいのトップに君臨してきて
逆らわれたころが無いから(10歳も違うし)、言いたい放題で気を遣うことも無かったのだろうが
あの時の不快さは今でも忘れない。
実家でいつも寝ていて、休憩しに帰ってると、お茶一杯入れなかった姿も忘れないぞ

ああ、私も病んできている
話の途中に昔話、それも超不快なことばかりを差し込むことに
思い出すんだよね

そう
だからもう人の生活時間に電話をしてくるなよ





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お中元を贈ったお礼は要りませんが

地元のきょうだいからこの前、お礼の電話があった。

いやいや送ったものだったから(送るのは子供たちが幼いころにお世話になったことと
田舎での受付係をしてくれたからの理由のみ)、電話に出るのも嫌だったが
出るしかなかった。

あたりさわりのない会話で終始したが
こちらは怒りをため込んでいるわけで
実家の解体費用は共同のお金から出したはずが、勝手に売り払った土地代は
自分の懐に入れたのだから、自覚はあるのだろうけど
知らんふりしているのが全く持って謎だ。
父の死後の相続は8割がた自分のものにして
判を押せと言って送った来た人だから、本来なら骨肉の争いになってるところだろう
おとなしい下のきょうだいたちだから、今のままで収まってる。

しかし、おとなしいけれど、もう心は離れてしまったってわけ


子供のことについて聞いて来たが
何にも変わりがないこと、嫁にも行けず
息子もあのままと自嘲気味に言うと

あ~可哀そうに
でもこっちは自分のことで精一杯

と言うだけ
夫婦二人だけで生きて来たのだから
余分なことなどせずに来れたわけで
キャパを育てなかったのだから、今後死ぬまでそうすればいいよ

心が離れているから、お肉のきょうだいも私も
娘もお彼岸もお盆もお墓参りにも行ってない。
実家跡地に知らない家があるのは耐えられず
見るのも嫌だ。
頭の中で実家の在りし日の姿をなぞっているだけだ
空気感やらも思い出している。(もう無いのに)

娘が良く言うのが
今こんなところ(笑 凄い)に住んでるけど
じいちゃんの家があるからと、心のよりどころにしていた。
故郷のつもりだった。そこで生まれたわけじゃないけど
それをうっぱらって 許せないからね
じいちゃんが死んで5年も経たないうちに


うっぱらった本人は、他の人がそれほどだとは
全く知らないだろう
本人は同じ市内に同じような婚家に住めているし
地元にいるから、望郷の念もない

で、お墓参りにもお彼岸にも訪れないから、いくら鈍くても
おかしいとはたぶん思ってるし、あちらの義兄も(家が小さいから、そちらはと言う輩ね)
子供たちとは交流があったのに(いい面しか見せてないから)何も無くなったからか
突然、息子に昨日ラインがあったという。

元気ですか、くらいで

返事をしたかどうかは聞いてないが
きょうだい間のもめごとで、子供たちの交流の機会を奪っていいものか
そう思ったりもする
息子は何も知らないから、純粋

それは義実家にもおなじ
祖父母とのご縁が薄いのも遠方だからだけじゃないだろう
良いことを言わなかったからね 私は


でも、本人が自分で判断することもある
以前も書いたが、娘は、何万円もかけて、遠くから一人で遊びに行って、
自分の写真を見せながら説明していたら
義母(おばあちゃん)が、そんなことよりさぁ、これ見て、○○○ちゃん(女きょうだいの娘)、可愛いでしょ~?と
いとこの写真を何枚も見せられて、ぶんむくれて帰って来たのだ。
いや、むくれて、ではなく、悲しくて

そんなことよりさぁ が堪えたのだけど
あちらは無意識に言ったこと
そして、無意識だからこそつらいってこと

お中元の話から何でこんなことに

それでも、赦さねばならないのだろうか
人間は
小さな過ちなどたくさんあるから

どうだろう

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お肉のきょうだいが来た

本当に久しぶりだ。

二時間くらいかけて、大荷物を持ってきてくれる
途中立ち寄るお肉屋さんでは大人買いをするので、もう
覚えられている。

この前、地元のきょうだいともめていたから
その話で盛り上がると思ったが、そうでもなかった。
それよりぎょっとしたのが、急に痩せたこと

家業が激務だったからというけど、昔から忙しい。
実家の母が60代で亡くなったから、もうその年齢にほぼ近づいていると
否応なしに意識させられてしまう。


娘は背中と腰が痛くて、ずっと寝たような状態だし
息子は、昨日の朝から出かけて、泊っちゃいけないと言ってたのに
一泊してまだその時は帰宅してなかった。
メールしてもなしのつぶて
そんな状態の時に来たお肉のきょうだいは、子供たちがいらっしゃいともろ手を挙げて
歓迎してくれてた時代を知ってるだけに、先細りの我が家の空気を感じ取ってるだろうな
と思うのだが


いつも通り一旦家に来て少し休憩した後、一緒に買い物に行った。
家業が忙しく、服の買い物などほとんど出来ない人だから、以前買って
お気に入りで長く着た服があるからと、クロコダイルに寄ってみたら
ドンぴしゃ好みの服を三着見つけて買って帰ることに

しかし本当に痩せた。
昔から忙しい上に、義兄が命はとられないけど病気だし、認知症が入って来てるかも
という。苦労はしているのだ。
かつては一番元気だったのに、労働し過ぎで一番老けてしまったようだ。


ここに来ることで、少しでも元気になって欲しいと、猫の柄のスリッパ(ベルメゾン)をあげたり
猫の貯金箱をあげたり、仕事柄飼えないので、せめてもと、猫の切手もだ。
あとはお昼と夜の準備と、好きなだけ話させてあげること

CIMG2716.jpg


ビールをしこたま飲んで、お肉も焼いて、家業の話などをした
が、きょうだいはTVを見れるのが深夜に近い時間
新聞に至っては、見出しを読むだけのことが多いとか
もちろんネットなどもしない。

そんなきょうだいが、麻生さんの悪口を言いだしたので
私は大好きだというと
信じられないと言うのだ。
安倍総理も大嫌いよ、言いだしたときには
私は大好きなんだけど 遊説を見に行ったこともある、と答えると、
えーーー信じられない、バカじゃないの
と、何を根拠に嫌いだと言ってるのか
夫の親(義父)のように、TVに安倍総理が出るだけで消す人と
ほぼ同じじゃないか
それも気の合うきょうだいがそれを言うのがショックで
日本のためになることばかりしているのに、と言っても
えーーーどこが??
と取り合わない65歳

でもまあ主義信条はきょうだいと言えど同じであるわけなく
こういうこともあるだろうけど
よく知りもしないで何かをえーーーバカじゃないのという愚だけは
避けたいものだ、自分は

それをやったのがきょうだい

まあ、気を抜いていたということか

そして、自分は年の離れた末っ子で
自分の意見など耳を傾けるきょうだいはいなかったんだと
認識を新たに、いや、知ってた。

お味噌扱いには慣れていても
ここぞというときに主張できないのが残念だ。

例えばこっちが正しいかったとしても

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地元のきょうだいから電話があった

仕事中に電話が地元のきょうだいからあった。

と言っても、水曜日 仕事場においてあるけど、リンリン鳴って
見るときょうだいの名前

濡れた手を必死でエプロンで拭って電話をとろうとするが
全く取れない、反応しない。
それを必死で繰り返している間に切れた。

先日お肉のきょうだいともめた地元のきょうだい

お肉のきょうだいからは、もう帰省しない
決別するから手紙を書いて送るとメールが来たので
やめてくれない? そんなことをしたら
娘と息子が、祖父母の位牌にも会えなくなるよ
だから絶対にやめてよ
と返事したが、そういう説得など意に関せず
どうやら家業の仕事の合間に書き始めたようだった。

そんなときに地元のきょうだいからの電話
二人のもめごとを知っているから、出るのも怖い
でも鳴ってるから出なきゃ
でも手が濡れて結果取れなかったのだが、相手からしたら
避けていると思うよね

すると、お肉のきょうだいから
何だか拍子抜けした、地元のきょうだいから、義兄がゴルフ中転倒して
鼻の骨を折ったと電話があり、今まで通りの普通の会話だったという。
あれは何だったのか
しかしそんなことで電話してくるなんて、話す人が居ないのかしら



そうなんだ、じゃ、手紙書かなくていいじゃない

いや、書く


だから、やめてって言ってるでしょ

それには返事なし

あーあ


もう知らない、訣別の手紙を書いて、相手を激怒させたら
もう帰省(家はもう無いけど)も出来なくなり、子供たちもゆかりのあった土地に
行くことも無くなる
娘など第二の故郷とまで言っているのだから

でも、地元のきょうだいから連絡がなくなるのは
それはそれでトラブルもなくなるからよき事だ、

そう思っていた矢先に
スマホが鳴った。
地元のきょうだいからショートメール

あれ、メールが出来ないはずだったのに


70歳でスマホデビューしました

って

ぎゃああ

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ますますこじれてきている実家関係

今日はパートが夕方から(パーティー)だから
耳鼻科にも行ったし、身体をいたわりながら家事もした。
いたわったところで、仕事に行けば台無しなんだけどね
今回の膀胱炎はきつい
まだ尿は濁っているのが見えるし、身体がだるい
きっとばい菌を叩けていない抗生剤なんだろう
今後の進退の事も含めてマネと話さねば 近々

と憂鬱なところにお肉のきょうだいからショートメールが数通

実家売却の件
解体費用はきょうだいで分けたはずと、とうとう地元のきょうだいに言ったそうだ。
すると、血相を変えて(顔も見れないのにわかるのか知らないが)
全部私が出したという
そして怒鳴りつけられ、怒り狂った喋り

と書いてきた。
ああ、想像できるなぁ 地元のきょうだい

お肉ののきょうだいは、
もういい、決別する
一歩下がった会話もなし、もう帰らない
お墓掃除の話ばかりで嫌になる
二度と帰省しないわ
実家売却反省もなし


悲しい話だけど、お彼岸も帰っていない
下の二人は
実家跡地を売り払ったこと相当怒っているってことだ
それも解体費用は確か皆で分けたよネ
という話になり、だから地元のきょうだいは、土地代だけもらったってことだよ
相続も相談なしだったし勝手に自分名義にしていたしね

とここで気になったのが地元きょうだいが、自分で解体費用は出したって
言葉ね

なんだかおかしいと思い
2017 2月にあったあった。記録が
このブログに書いてあったという

つまり、亡父の通帳を地元のきょうだいが管理していて
法事費用やら、電気代とかをプールしてある共同のお財布ね
ちょうど、実家解体前に取り出せるもの、欲しいものを取りに来いってことで
新幹線で向かったことがあり、それも陽光のさしている時間がリミットで

そういう作業の前に電話があった時、遺品整理の業者とかは入らないの?
と聞いただけで
そんなお金は残してない!今でも処分のお金ぎりぎりしか残していないのに
それともあんたが遺品を引き取るのか?狭い家に
こっちのやり方に文句があるなら引き取れ
と言った内容をここに書いていた。

そうそう、共同のお財布 というか父のお金だ
それを地元が管理していたはず

夫の仕事はお金関係をやるので、ちゃんと明細を本当は出してもらうんだけどな
と言っていたんだけど、そんなことは叶わず、一切知らされてなかったから
そこから豪華ディナーに夫婦で行ったかも知れないと、邪推するよね

それをお肉のきょうだいにメールしたが返事はない。

そばにいるのに親のことをあれだけ放置して
とうとうご飯を一度も作ってやらなかったというきょうだいだが(食物学科に行ったはずだが)
激しやすくて、話し合いなど出来ないタイプで、どうしたらああいった人間が
出来るのだというレベルで、一度も一緒に旅に出ようかと思ったこともなく
バラバラのきょうだいに成り下がったのも、一番上の人格がアレだからだろうね

今後、きついな 色々と
七回忌もまだだよ




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能天気に電話して来ないで欲しい地元のきょうだい


休みの日に、携帯が鳴る

名前を見ると、実家の土地を売り払ったきょうだい

この前、お肉のきょうだいと、もう縁を切ったっていいじゃない、関わるのはやめにしようよと

話をしたばかり

なのに、メールが苦手な69歳なので、電話をしてくる

人の都合お構いなしで、人の生活時間にかかってくるものが

とても苦手になった自分には余計に不快

だけど、出た。

なんのことはない、手術跡が痛い、お腹にネットが入っていると

ネットが??

ずっとお腹に入れておくものらしい。 腹壁が出ないように、抑えておくものだと


そうか、それは大変だね

と言ったけれど、土地の事は言わないのか、それとも自分が勝手に相続したことを

忘れてしまって、『心情的には共有財産』を売り飛ばしたとは思っていないのか


こちらは怒り心頭なのだ。いくらなんでも解体から売り飛ばしまでが早すぎることと

こちらが負担した解体費用はどうなったのだと問い詰めたい


が、普通に話して切った。

その手で、お肉のきょうだいにメールした。

こちらの生活に飛び込んで来る電話を阻止できなかった。

長年中元歳暮を送っているが、できれば止めたいこと

バカらしくてやってられない



この前は縁を切ったらいいさと言ってたのに
返事は、
じゃ、墓じまいまでは送ったらどうよ
だってさ

墓じまいはいつになるのだったか

近いうちに行われるのかな


すっかり心変わりしてしまって
100円のものを送るのも嫌な気分になってしまいそう



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きょうだいが半年以上ぶりにやってきた

お肉の方ね

家業が忙しいからか、久々に見ると、老けがひどい。

今回もお肉をどっさりと持ってきてくれたが、
いつもより量が違う。
あの店の主人もこの買い方には驚いただろう

どしたの
はっとした。
そうか・・・

もうこちらと親密に、力を注ぐことにしたのだろう

地元のきょうだい(実家跡地を売り飛ばした人)の事を口にしないで
気分が悪くなるから

そう言った。

いったん家に来たあと、外に買い物に出るのが定例で
その買い物がてら、言ったことは

実家の最後の建物の解体費用が何百万かかったから、
それをきょうだいの頭数で割って
各自が負担したのに
土地を売ったお金は自分だけが手にしたこと


初めて気づいた。
そんなことを考えもしなかった。

確かにそうだ。厳密に考えると

しかしその後、二人とも、地元のきょうだいの悪口を言う気力もなく
ビールをしこたま飲んで、美味しいお肉をよばれた。

猫の貯金箱はしばらく我が家にあったが、持ち帰ってもらった。
ウケていた。

地元きょうだいからの退院の内祝いでもらったデパートの金券
当然私にも送られて来たけれど(お見舞金を送ったから)
お肉のきょうだいにも送られてきていた。

これ、要らない
○○ちゃん(娘)にあげて、私は欲しいものが無いの
と、二冊を手渡してくれた。


子供たちの小さいころから、年に数度遊びに来て
沢山食べさせてくれ、子供服をプレゼントしてくれ
到来物の多い家だから、それをどさっと箱ごと送ってくれることもある
いったいどれだけお世話になっただろう


子供たちは寝ていたり、出かけていたりで、きょうだいと殆ど話すことはなかったけれど
各自お見送りだけはしていたのは、昔と関係は変わってきているにしても
最後はきちんとやるのは、分かっているのだろう子供たちも


ね、もう○○のおばちゃん(地元のきょうだい)の事は気にしなくていいから
○○のおばちゃん(お肉の)を大事にね
と娘に言うと

大きくうなずいていた。

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実家のあった場所の土地を

地元のきょうだいに売り飛ばされていた。


奥まったところにある土地で、この前売れた場所のように大きな道路沿いとかではないので
しばらくは柵をして、解体後の土地をそのままにしておいた。

いつかはでもどうにかするんだろうな、くらいに思っていた。

母が逝った20数年前ほどは、子供がいるのは私だけだから、
将来的には子供たちに行くようにする
のようなことを言っていたのだが
父も逝った後、地元で色々と大変だから、菩提寺の住職と相談したら
お宅が継げばよろしいじゃないですかと言われたから、これらは私が相続するから
と、書類のほとんどがきょうだいの名前で埋め尽くされたモノを送って来
判を押して返送しろ
となった時、以前も書いたが文句を言った。

すると敵は激高し、
では、法事も墓も全部やれ
今後のこちらでやることは、遠くから帰ってこい
司法書士とのやりとりも勝手にやれ
こちらは手を引く
のようなことで、黙るしかなかった。

ところが、売ってしまったと?

なぜわかったかというと
がんで開腹手術を今年になって受けて、この前お見舞いに行ったばかりなのに
また、腹腔ヘルニア?で開腹手術となって入院したというので
お肉のきょうだいと、前回同様お見舞金を渡し、今回は、娘が新幹線で行って
お見舞いを言付かってくれたのだった。

病室で、西隣の人が土地をずっと欲しがっていて、売った。
もう敷地に入らないように。というか、もう建設中だと娘に言ったらしい。

自分の土地だから煮ようが焼こうが勝手
そう思っていたから、世間話のように娘に話したのだろうが
帰宅した娘から聞いた瞬間の衝撃たるや


勝手にそっちが決めて自分のものにした土地でしょうに
それに、確かに法律上は自分のものだけど、心情的なものがあるでしょう
なのに相談もなく、一言もなく
私たちが住んでいた代々の土地を売り飛ばすなんて
それも母が嫌っていた隣に

新幹線の各駅停車の駅前に、駐車場があるじゃないの 8台は見えたけど?
毎月入ってくるお金もあるじゃない
義兄よ
妻の相続した土地も、二つとも大きな道路に面してますよね
また売れますね
富くじが当たったようなものですか
自分の土地だけは死守して、嫁の実家のものを売りさばくとは


姉も同罪だ。

そこまでして高級車に乗って、ゴルフ三昧したいかい
二人で外食三昧したいかい
家の解体を急いだのはそれだったのか
思い出の家なのに、まるで土地だけが必要かのように
急いだわけだ
我々が手伝いに行ったのは、それに加担したってわけか
バカらしい


お肉のきょうだいは物静かだけど
この件に関しては激怒していた。

ああ、お見舞いのお金、二度も渡さなきゃよかった
とまでメールで送って来た。

それは私も同じ気持ち

月に一回お参りしているところがあって(お百度のような)
そこで、あんたたちや、地元のきょうだいの事もお祈りしていたけれど
次からはやめよっ
それから、ばちが当たったんだよ、きっと、今回

遠くなった故郷がますます遠くなったとも書いていた。


それもあるけれど
地元のきょうだいとの間に、何か決定的なものを感じた。
赤の他人よりひどいと

きょうだいは他人の始まりというけれど
同じ血を分けたきょうだい、我慢しながら死ぬまで付き合っていくのだなと
思っていたが、どうやら心の中で何かが終わったようだ。

どうせ生きていても、今生でのご縁も長くてあと20年  いや、10年か

おとなしいと思ってバカにしていたら
サイレントマジョリティ、じゃないけど、すーっと消えるぞ
今後近寄りもしないだろうよ


売ったお金を皆で分けましょうってあとで言うんじゃないの?
と言うと
お肉のきょうだいは即座に否定した。

もう少し待ってみて
やはり声がかからなかったら、この書き込みは発動するってことか

生きている間には色々あるものだ





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熱中症って意外に身近にあるから 気をつけないとね

しかし、昔は日射病に気をつけて
外に出るときは、帽子をかぶりましょう

くらいだったよね。

いつからこうなってしまったのだろうね。

今はもう更地となった実家の話だけど

家の周辺は、色んな人生の見本市のようなありさまで

こんなに色々あるっていうくらい、最後の方はおかしなことになってましたね。


つか、こんなもんですかね
田舎だけど、かなり密集しているところなので
間に道があるけれど、囲まれているというか

一軒目
私よりかなり年下のお子さんたちも優秀で、立派に育った後
当時50代の奥さんが犬の散歩に行ってる間に、旦那さんが心筋梗塞で倒れ
帰らぬ人に
明るかった奥さんはその後、言動がおかしくなり、最後は精神の病で
病院に。もう帰れないようで
家は子供たちが人に貸してしまったという


二軒目
旦那さんが、定年退職したとたん、交通事故で意識不明に
意識が戻らないまま10年ほど入院したまま
やっと?亡くなったけれど、奥様は疲れて心を病み
入院したそうだ。
生前の父は、その奥さんに大層お世話になったのだけど
そういう行く末は知らずにあの世に行った。

三軒目
3世代で同居していたご一家
かれこれ8,9年前だったか、ご子息が60歳で休日の畑で倒れていてそのまま帰らぬ人に
熱中症だったらしい
残された母は、弱ってしまい、最後は胃ろうをしたまま4、5年生きた らしい。
嫁だけ元気

4軒目
覗きが趣味だった奥さんは、古い家を建て替えた後は
神経質に掃除しまくっていたが、ご主人が肺を患って亡くなると
あとを追うように肺がんで亡くなった らしい。
たぶん60代半ばあたりだったりと思う。
子供二人は結婚もせず
家を出ているので、綺麗なお家は無人になった。

あと数軒書きたかったけど
結構あるわね

こういう話をすると
夫が、お前の実家のあたりは呪われてるのか

と言われたことがあるが
そうかもしれないな
人生の縮図にしても、有りすぎだよね

熱中症と言えば
田舎のきょうだいが、8月の炎天下、実家の墓掃除(草引き)をしている途中
意識を失い、倒れているところを誰かに発見され、救急車で運ばれたのが
おととしのことだったか

そのまま誰にも見つけられなかったら
きょうだいは命は無かったのだろう

ま、その後、今年は手術となってしまったから
その頃から、芽はあったのかもね

お話は、熱中症に気をつけましょうってことでした。




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土地の事で契約関連のお出かけをしたら疲れた。

田舎の土地のことで、小さな賃貸契約を結んでいる。

その業者とは再契約とする時期になってきて、お肉のきょうだいとともに
二人の中間地点、ではなく、お肉のきょうだいの町の近くの駅まで、
業者には田舎から出てきてもらった。


なぜか土地は共同名義で、お肉のきょうだいが5/3 私が2/5
だから、わずかながら貰うお金にも差がついている。
なぜ私が2/5になったかというと
地元のきょうだいの持ち物がかかってる方を、私が割り当てられたからだ。


子供がいるのは私だけだから
順番通りならば、子供たちが相続するのかな
でも、共同名義 しかも不公平な割り当てのままだと困るよね

分筆しなおすと大変なことになるし
生前に渡すと、贈与税がかかるし
私たちに何かあった後だと、相続税がかかるし
いずれにせよ、大層難儀なことになる。
税金を用意しておかないおとダメだだなんて
苦痛だろうに


子供二人が将来的に同席して判をつくか
いや、息子はどこにいるのか、行方不明になってないだろうか
娘は独身のままだろうか
二人とも結婚もしなくて子孫が居なかったら、誰が継ぐのだろう

夫の家系にいとこがいるから、その子供に転がり込むのかな

などと果てしなく、悲観的な想像が続き
ますます落ち込むことになる。

今日は仮の書類を見せられて、正式にまた送りますってことで
あちらは新幹線日帰りで立たれたが
こちらは残ってお茶したり、デパ地下で少し買い物をしたりした。

人出が凄くて、外国からの観光客も多いよねと言いながら歩いてたら
お肉のきょうだいは承り顔(よく道を聞かれたりする人)なのか
外国人の中年の女性に、デパートの位置を聞かれ
えーーっと、ゴーストレイト、のあとが続かない。
私など、素晴らしい発音で、ディパートメント・ストー?
と単語を一個発しただけ

結局、この辺に明るいお肉のきょうだいが、一緒に行ってあげるってことになり
相当歩き疲れていたのに、逆行したりして、
本当にへとへとになった。

しかし、あれれ
左の歯が浮いたようだったのに、殆ど感じなかったぞ?


やっと帰宅出来たのが18時半

その前に、マンションの下で待ってたら、モニターに息子が乗り込こんで
来たのが見えたので、今からジムかしら、と
下でドアの真ん中に顔をピタッとくっつけて
降りてドアが開いた時びっくりさせてやろうと待機してたら
開いたとたん、
一瞬ひるんでたけど、あきれ顔で、
どこの変なおばさんかと思った。
ってさ

一応こちらの作戦成功とにやりとしてたら、

俺、今から○○(彼女の住む町)に行くから

ぼーぜん

あそ

家に帰ると、息子に突然言われたようで
お金も渡したという。

よくそんな気持ちの余裕があるねぇ
将棋と野球のTV観戦とゲームで明け暮れてる無職なのに

いつまでこういうことを続けて行くのだろう

どっと疲れが出た。
ご飯だけは炊いてあったけど
おかずはまだで、結局19時半に出来上がった。

急にまた歯が浮いたような痛みがやってきた。
いつ爆発するかわからないけど
治ったかと思ったのに

この家には魔物が住んでいるのかも





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お見舞いに行ったので移動

がんの手術をしたきょうだいを見舞いに
お肉のきょうだいとともに移動した。


人が多いなー
日曜日だったし

やはり手術後数日たったばかりで
やっと歩けるようになった日だった。
ドレーンは入ってるし、痛々しい。

ただ、義兄がかいがいしく世話をしているし
寝ぐせの髪すら笑いながら触ってるし、
甘え切ってるのを見て
ああ、これなら大丈夫、と安心したとともに
羨ましいなあと思ってしまった。

もし私が入院したら・・・・?

病室の隅っこには・・・・・・来てくれるであろう


とにかく人ごみの中を移動するのは、前も書いたが
つらくなってきた。

そしてお金がかかる
お見舞いを包み、新幹線に乗り往復・・・
お弁当に飲み物に、お墓参りのお花に

血縁の手術入院に、何て冷酷な、と思われるだろうけど
聖徳太子(じゃないけど)がひらひらと飛ぶように無くなるのは
もう給料が無い家にはきついものだねぇ

と、この前
お肉のきょうだいが久々我が家に来た時
塗香(ずこう)をおすそ分けしたのです。
何かと不思議なことを経験しがちな人だから、お守り代わりにと

ところが逆効果だったようで

この前貰った塗香の入った袋(ジップロックの超小型)
その日から、一週間、ひどい頭痛とくるぶしまで痛くなるほどの不調と
胃痛で、ほとんど食べられなかったらしく
山の中の霊場で買ったものは、怖い。
何かが憑いてたかもしれない。今度からはやめて
という。

私は平気だけど?


とにかく、私には合わなかったから


そうかー 良かれと思ってあげたのだけど
(鈍感で良かったのかな、自分は)

と、帰宅してその話を娘にしようとしたら
日曜日はずっと寝てたし、残して行った食事も食べず
スープばかり飲んでいたそうで

耳鳴りがひどい

というので、

じゃ、地震が起きるかもよ
耳鳴りがしたら、日本のどこかで地震が起きる人いるじゃない?

と冗談のつもりで話していたら
夜中に出雲方面で地震があったとか


((((;゚Д゚)))))))

娘よ、もしかして
体感するタイプなのだろうか



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地元のきょうだいは病気

検査結果が出たようで、
初期の大腸が〇とわかったそうだ。

やはり、そうだったか。
ポリープは内視鏡で採れたのに、途中から先生が、
あ、と言ってたらしいから


いつもガチャ切りするような人が、しおらしい。
さすがに結果が出るまで、生きた心地もしなかっただろう。


手術は4月に予約が入った。

仕方ない、早く取り除いたほうがいいよ

身体にメスが入るきょうだいは、とことん入る運命なのか

自分もわりとそう。


しかし地元のきょうだいは、亡くなった母親と同じ年になる

親の年を超えられるか
殆どの人は一様にそれを意識するらしいね。


お彼岸の墓参り墓掃除が気がかりだと言っていた。

私は行かねばならないだろう
そして、お見舞いもあるから、一度ではだめ
二、三回は往復することになるのか

身辺に動きがあった
いつかはこんな心配をする日が来ると、予想はしていたが
割と早く訪れた。

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お肉のきょうだいの話は面白い話が多い

お肉のきょうだいと呼んでいるのは
年に数回、二時間ほどのところから来て、
子供たちが幼いころから、いいお肉をお腹いっぱいたべさせてくれたからだ。

前も書いたことがあるが
不思議な話が多い人で
今日も本当かしら、と思えるようなものばかり
夫も飲みながら聞き入るばかり

婚家の近所の人が亡くなった時、うちに挨拶に来たという
玄関前に枯れた葉っぱがあったから、掃除しようとしたら、
葉っぱじゃなくて、巨大ナメクジだった。

で、その人だと確信したらしい。

どーして分かるの?

すりガラスに、その人の顔が浮かび上がったから


はあああ?と私

で、あとで見るとナメクジは消え失せていたという

また、10年くらい前に、家庭である大きな出来事があった。
その二年前くらいに、そうなる予知夢を見ていたという。
だから、落ち着いて行動出来たと

はあ=そうですかーー

その時に見たものは、現在の家の家具の並べ方と同じだった
当時は違ってたのに


へーーーーそうですかーーー





また、実家は無人で(当時、今は解体済)、地元のきょうだいのところに父の位牌を預けているから
新幹線に乗って、訪れた帰り、
アゲハ蝶が付いてきたそうだ。

私もお墓参りで経験あるーー
と私

それは聞いた。よくある話
だけど、その時は、新幹線の窓の外に止まったんだ。


へーそれは凄い


最後まで付いてきたなんて不思議


最後まで?
蝶々が付いてきた??と私

あ、それは新幹線の方が早いから、
すぐ見えなくなったけど


ついて来たら怖いよ--

後、仕事柄、付き合いが多くて
ある高級飲食店の人から、昔、不思議な話を聞いたそうで

大きな事故があったとする。
それに有名人が乗っていたとする
だけど、その飲食店の人は、まだ事故を知らなくていて
その夜、その有名人が確かにお店に来てくれたのに
翌日、その人が事故に遭ってたことを知って
呆然としたって話


不思議でもなんでもないですね

ってことはないですね


あとは45年前のドキドキした話も
酒の肴となったかな

田舎に、小高い場所があって
そこには、都会から来た人たちが、転勤で住んでたエリア
で、遠いけど小学校に歩いてきてたのだけど、地元民と比べると
皆身なりが垢抜けてるし
お母様手作りのタータンチェックやギンガムチェックの釣りスカートだったりした。

習い事はこっちがそろばん習字くらいなのに、どこにお稽古先があるのか、
バレエにピアノに、絵画に、とかだったかな
私もそのエリアに遊びに行ったことがあるけれど、50年前くらい前 
こっちは五右衛門ぶろだったのに
シャワーがついてて、トイレは水洗 
お母さんの車がサニーとかだったかな こっちの母親はサザエさんみたいな頭なのに
その辺のお母さんは美智子様みたいに後頭部を膨らませてたっけ?
名前もハイカラで、子なんてつかない。男子は 浩(一文字の名前)と書いて、コウ と読ませたり


でも、だよね?とか言葉遣いが冷たく感じて嫌いで、遊びに行って、
二人にトイレを覗かれたり、おませなうえに、裏で意地悪なのが素朴じゃないなと
私はその後も付き合う友人は出来なかった。

だけどお肉のきょうだいは、ずっと付き合ってる人がいるそうで、
20歳の大学生の時、あちらも大学生になっていて、
家に呼ばれて泊めてもらったことがあるそうで
彼女の親の転勤はもう終わって、今までの都会の高級住宅地に一家で住んでたそう

お父さんはT大卒で 赴任先は外国もあったそう
で、お呼ばれした日
先にシェリー酒をどうぞ、とグラスを渡され目が点に
こんなお酒があるの?知らなかった



出てくる料理ももう何だったか、ナイフとフォークに気をとられ
ちょうどオイルショックの頃で、この優雅なご一家に田舎者が混じって
ひたすらご馳走を口に運ぶことになって、未だにその時の焦りを思い出すそうだ。

そうだよねー
うちじゃ煮魚と白和えと胡麻和えとヌタ、その他、で育ってるもんね
父親はキリンビールの瓶に、日本酒はちりんチロリで燗をして。

ただ、あちらも田舎者ぶりなんで百も承知じゃないの
一家で赴任して来てて、あのド田舎の小学校に通ってたわけだから
雰囲気は分かってるでしょ

まあ、そう

と、きょうだいでなければ通じない田舎のあれこれを
話せて楽しかった。
故人のものも多く、笑って笑って・・・・・
内容はともかく、話し方が生き生きとして
臨場感があるから、文では伝わらないのが残念

不思議話、思い出話でお酒が進んだ日でした


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どんなものだって生命力が凄いもの

遠距離介護に行く前は、半年に一回帰省してた。

だけど親は段々弱っていくわけ

どんどん荒れて行くのが分かる。

そして、足を踏み入れたとたん、誰の手も入ってないのが一瞬で判明

近くにいる人もいたのに、何も移動してない。
手が入ってないのが分かって愕然としてたのです。

料理をしようにも、本人も周囲も使わなかったから
賞味期限の切れた調味料とかばかりになってて

いる間に料理をするから、一から買わなきゃならなくて、

だからどんどん小型化していきました。
最後は醤油だって50mlくらいのものを買ったりね

で、毎月帰るようになって、第一段階の小型化の時、
お醤油の容器のグッドデザインで賞を貰ってる赤い蓋のものを買ったのね。

穴が二つあるもので、醤油さしの中に入ったまま売られてるもの、ご存知ですよね

量的にもちょうどよいし、もうこの家では一リットルのものなど必要ないわ、と



ところが、すでにその頃は老人は、台所にも足を踏み入れなくなってて

帰る前に作って食べさせ、残りは食べてね、と置いた夕ご飯が、翌月ミイラになってたりとか

緑色の粉が降りかかった鍋の残骸があったり、その後片付けからスタートするのはきつかった

時は盛夏

あらゆるものに〇ジが湧き、

なんと、醤油さしの赤い蓋の穴二つに、極細のウジが湧いて、
うじゃうじゃうごめいていた時は、ぎゃあああと叫んだものです。

お料理しようとしてたから

コバエが産み付けたのね

栄養があるんだろう  しかし初めて見たこんな光景

そうやって、どんな所でも生きて行く生命力の強さに驚いたのです。



それに引き換え、この老人は・・・・・とその時は思い、

今は、このドラ息子は・・・・と思い・・・・


生命力と言えば、またいずれ雀の話でもしますね。

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17歳の時、いったい何年前だ、その時に聞いた話

今日は息子がいないから思い出話を

うち実家のことは折にふれ書いてきたのですが
幽霊は見たことがないけど、皆一様に少しは変わった体験はしてたのですね。
(Re;実家関連のカテゴリー)

不思議な話を聞いたのは17歳
人間こういうこともあるんだ、と

お肉(を持ってきてくれる)のきょうだいとは5歳違ってて、
彼女は結局、学校の先生にはなれなかったけれど
教育実習を母校の中学で行うために、帰省してたのね。

きょうだいそろって同じ先生に教えてもらったこともあって、実習中の話を
毎回おかしく聞いてたの
家を起点として高校は逆方向だから、通らなくなっていたし

私も知ってる一人の先生(当時 教頭)が、一人の3年生の勉強を見てやってくれないか
と言ったそうな
ちょうど中学から実家までの途中にある家で、それも、私の部活の二つ後輩の女の子らしい
顔を知ってるくらいで、そんなに接点は無かったけれど、事故にあって3か月は入院していたから
勉強が遅れてるのだと

先生の頼みならと受けたきょうだいは、それから通うようになった、と言っても
実習中だから、ほんの少しの期間だ。
それでも、教えていたら、授業中その子が正解を言うと、周りが驚いたくらい
少し進歩があったらしい。

家に行って教えながら、その子と色々話をしていたら
不思議な話をするんだよ、と夕食時に言い出した。

彼女のお母さんが、今日、お父さんが事故に遭うから気をつけてと言った日に
自分(娘)が通学途中、家から出て、すぐ事故に遭った。
(私も知ってるあの場所に、車が突っ込んできてはねられた?
どうやったら、人が歩いてる場所に突っ込むかなあというくらいの場所)
で、意識不明の重体
 
お母さんは、何百キロ先にあるお寺?宗教施設?に行き
一晩中、あちらにどんどん向かっていく娘の霊魂(火の玉)を引き留めようと、
一心不乱に祈ったと言う。

命がけくらい?で祈っていると、火の玉がこちらにガクッと向いた瞬間、
その寺(施設?)だけが大地震のように揺れた。
ああ、これで助かった、とお母さんは思ったらしい
他県の病院では自分が意識を取り戻していたそうだ。


そんな話を聞いて、顔は知ってる子だったから、興味深く
でも、いったいそんな話が本当にあるのだろうか
朝はお告げ?
でもそれは当たらず、娘に?
霊魂をこちらに戻すことができるものなのか
とか、高2だった自分は不思議でたまらなかったのね。
と同時に怖かった。そんな、能力が


で、きょうだいも実習が終わり、当然その子の家に行くことも終えたある日
夜、そのお母さんがうちを訪ねてきて、お礼の品を持ってきた。
母が対応して、きょうだいもあとで出て行ったと思う。

玄関から居間は直接見えないけれど、ドアは開いてたし、TVをつけていたから
音はダダ漏れで、人の気配もわかったと思う、玄関で
来客に押し黙ったから

きょうだいが、最初、例の人というものだから
そんな特殊な能力のあるお母さんが来た!と緊張して、
もしかして、私たちの姿が全部見えているんじゃないかと、
恐怖だった瞬間まで覚えてる

人間の記憶の断片とは、人によって全然違うから、困る。
きょうだいにこれを言うと覚えていなかったのね。
当の本人だろ、と

同窓会などでも、皆、記憶の断片が違うものだけど
この話は、人生で初めて遭遇した不思議なお話で、
忘れようとしても忘れられないお話なのです。

つまり
この世は、見えている世界だけがすべてじゃないのだろうと
思った次第です

長々とすみません


しかし
この話
本人が読んだら、私が誰だか身バレするね
フェイクを入れたほうがいいかな



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母は養女だったけど養母より先に亡くなった

子供のいない夫妻が、夫の腹違いの弟の子を貰った。
 それも二歳前に母親に死なれた子を

一人っ子で育った母(生きていたら90歳)は、その事実を何にも知らずにいて
ある時、級長だったから、先生に頼まれて、
職員室で一緒に皆の戸籍を整理していたそうだ。11歳の時

(今じゃ個人情報なんとかで大変なことになってるよね)
当然自分のも見るよね
そこに養女とあって、ものすごく衝撃を受けたそうで、
その日のことは、事あるごとに聞かされた。

急にお母ちゃんと呼べなくなったそうだ。
どうしても無理になったと

父親と呼んでる人は、かろうじで自分の父親の血縁だったから
可愛がってもらってる実感はあったそうだ。
孫の自分は、祖父の記憶が殆ど無くて、どんな人物だったのか
あとで聞いたくらい

成育歴でどういうことがあったのか知らないが
父(お婿さん)が来ても、どこか水臭い家庭というか、
いつもピリピリしていたと思う。
私たち孫も、本当のおばあちゃんじゃないことを、
小学校高学年で知ることになったのだけど
血のつながりが無いと分かっただけで、急に白々しく思えるのは何でだろう。

こういう時の対処の仕方で、人間力のありなしが見えてくるね
とにかく我が家は無理だったようだ。

前も書いたが、本物の親子のやり取りを見たことがないまま育った。

それでも離れに祖母が住んでいるし、事情を知らない人たちは
普通の家族だと思われていただろう。
怖くてキツい祖母のいる人だと。

祖母の姪が徒歩五分くらいのところに家庭を持ってて
母は、祖母にいつも姪の名前を出されて、
いざとなったら〇〇〇(姪の名前)に世話になる
と機嫌を損ねては、家を出ていくみたいな脅され方をしたようだ。

一歩も家を出たことのない母(嫁いでもないし、井の中の蛙で生涯を終えた)には
今の生活がすべてて、逆らえずにいたようだ。


ところが、母が69歳で入院した。同時に手術もしたが、
もう帰って来れない病いで
周囲だけがバタバタして、地元のきょうだいは毎日来るし
遠くから幼い子たちを連れてお見舞いにくる私も、他のきょうだいも出入りし、
何かが起きてることは祖母には分かっていたとは思う。

自分はもう死ぬから
還暦あたりから言い続けていた祖母は98歳になっていた。

母の入院中は、子供のいないきょうだいが仕事を放置して
遠くから参戦
患者に付き添ってくれて、病院と実家を往復しては、
家の食事も変わらず作ってくれたので(地元のきょうだいが
作るべきなのに、父にも何も作ってやらなかった人だから、いわずもがな

祖母と父は変わらない生活が出来た。
(葬儀後、付き添ってたきょうだいは、疲れ果てて肺炎一歩手前)

そうして、二か月後、遺体が実家のお座敷に安置され
友引だからなどとこちらで相談する中
私は見た。
98歳の老婆が声も出さず泣きじゃくっているのを

誰も忙しくしていて、家で葬儀をしたので、町内会の長も来たり
ドタバタしていた隙間に、布団をずっとのぞき込んでいたのを
誰も気に留めずいたが、私は見ていた。

血縁でないというのは恐ろしいことだ。
蚊帳の外
長年一緒に暮らしても

誰もに激しい気性を嫌われ、家事はすべてを母に任せ
そう、育てた義理の娘にまで世話はされたが
最後までそっぽを向かれていた人だったが
70年近く子供として接してきたものに死なれて
悲しくないはずがないだろう。

父はその祖母を嫌い、同じ食卓にもつかなかったのに
残されたのはその二人

母親の死期を早めてしまったのは、祖母のせいだと言い始めるきょうだいもいた上、
父は母の入院後からおかしくなっていて、私が新幹線で駆けつけ、
付き添いしていたきょうだいと会って父と地元のきょうだいも病院から呼び出され、
皆で臨終をみとったあと、付き添いきょうだいと自分とで
一足先にタクシーで駆けつけた実家は、
なぜか色んなものが入ったスーパーのビニール袋が、何十個も居間に散乱していて、
異様な光景に立ち尽くしたが、まずは泣きながらそれらを片付けるという、
それはそれは悲惨な通夜準備だった。

前夜、病院から危篤という知らせを受けた父は、発狂でもしたか

友引だったので、延びた葬儀だったが、真夏なのに、家の布団に寝かせた遺体が
何ともならないのが不思議だったし
生き返らないから、やっぱり母は死んだのだなとぼんやり思ったり
こちらもおかしくなってたかな

最後の棺に蓋をする前にも
祖母は静かに泣きじゃくっていた。
おかしくなった父に、祖母を目の端にも入れないきょうだいたち
こちらも病みそうだった。


さて、付き添いも終わり、葬儀もおわり
食事の支度をする人が仕事にも復帰することになったけれど
地元のきょうだいは、遠くから来ていた人の労働に甘え、ごはんの出来ている実家に
泊ることしばしば
父の介護の時も、何もしなかった人だから

今後、家事の出来ない父と、98歳の年寄りが残されることになって、
後ろ髪を引かれながら、幼い子供たちと帰って行ったが
8か月もしないうちに、祖母は離れで倒れて、一週間ほどで病院で息を引き取った。
それが20年前

思い出すと、母の葬儀のあと、自分を入院させないでくれ(当時の姥捨て 今思うと優雅だ)、と
年金をためた現金の束を見せて
家にいさせてくれと父に懇願する老婆を見て
他人の中で年を取ることの悲しさ をひしひしと感じた。
我が家が冷たかった?
のかもしれない?
かも、知れない。

でもしかし養女を迎えて67年後
こんな最晩年が待っていると誰が思うだろうね。

その祖母が亡くなるまでの8か月のひどさは、とても言えるものじゃなく
まともに食事も作っていなかったのを見た。

だって、父がまず自分のごはんすら、どうしようと悩んでいたのだから
(自炊出来ないってことは本当にだから残念なこと)

私も嫌っていた祖母だけど、世話にはなったから

最後に祖母の孝行が出来たのは
3か月お風呂に入っていないのを引っ張って入れたことだ

地元のきょうだいが、歩いて行ける事務所にいるのに・・・
悲しくてたまらなかった。
こちらは遠方で、幼い子供連れなのに

でも、祖母の場合は長生きしすぎたなぁと思った。

長生きしてもしんどいことが多いよね
子供に先立たれることもあるだろうし

父の場合は、生ける屍になったまま20年
死にたくても生きていたし、それはそれは苦痛であっただろう。、
また、この世の中、生きたくても死んでいく人もいる

理不尽だ

しかし何が言いたくて、祖母の話を出したのだろう。

そうそう、結局祖母は、母をいつも脅していたのだ
すぐそこにいる姪のところにいつでも世話になるぞと

ところが、一年に一度も顔を見せることも無く
母が亡くなっても、葬儀には来たけれど、伯母(祖母)のところには一度も来なかった。
徒歩5分でも
姪にも嫌われていたのだろうか


人間、どうやって生きてきたか、通知表を貰うときが来るのだろう。
血縁の中でも
他人の中でも

しかしだ、
オール5だったからと言って、よい終末が用意されているわけでもないだろうし
それがとても困る
家族関係もどう変化するか分からない。
いったい良い終わりってどんな?

家族がいるってことはいいこと?
うん、少なくとも、たった一人で生きるよりはいいよね
上のような確執もあったりしても

さて、今のままだと、子供たちだって一生独身かもしれないし

いろんなしがらみを抱えなくてよい分
親亡きあと、夕刻 どこの家からも香って来る、夕餉の匂いのなか
、一人、誰も待つ人のいない家に帰る自分
どうして家族をもたなかったんだろう?なんて思ったりするかもしれない。

また話が逸れた。
子供と言う存在は
親にとっていったい何なんだろう?

どうして、自然界のものは
命がけの繁殖で、DNAを伝えるの

親は、すべてを子に与えて、果てる

それでいい

それが一番平凡で正しい生き方なのかしら

いったい何を言いたいやら
すみません


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太り方が尋常じゃないのは労働が少ないから

体重だけじゃない、体形がやばい。

自分比で最高に醜い体型
妊娠8か月、くらいのお腹


息子に付き合って起きてたから、
外に行かず引きこもってたから
も、あるけれど
介護が急に無くなったから、もあると思う。

それほどハードな運動だったのだろう。

当時、まずこちらで朝から二日分の食事を作ってラップして、
もうここで疲れてる
(当時は夫だけ 子供たちは一人暮らし たまに帰って来てたことも)
あれこれ指示して、
さあっと荷物を持って、新幹線に乗りに行く、

けれど、そうそう駅が近いわけじゃない。
これが土曜日
混んでいる。

そして、やっとあちらの新幹線の駅についてからは、在来線に乗る。

実家近くのスーパーまで、バス停から降りて歩いて行くと、
帰りは実家まで重すぎるので
介護の最後の方の時期は、着いた駅に歩道橋で隣接するショッピングセンターで
買うことにした食料

しかし何袋にもなって重いから、節約のため、2000円以上するタクシーに乗らず、
本数の少ないバスに乗るから、このあたりで既に疲労困憊

真っ暗だし、うら寂しい気持ち 
これから楽しいことが待ってるわけじゃなく、つらいことが待ってると思うとね。

バスから降りて、実家までまた歩く。
街灯が暗すぎる、怖い。

玄関は開け放してる。が悪臭が漂ってるのが分かる。
荷物を持ち、足を踏みいれる瞬間が憂鬱の極致だった。

あの家がこうも変化するとは

着くと、老人はあちらのゴミ化した部屋(応接間と呼ばれてた場所)で寝てるから、
顔だけ出して、こちらで買った総菜を食べ、ひどい汚れの家を大まかに片付け、
朝食の準備をし、寝る。

大まかな片付けと言うが、かなりレベルが高い。
腐ったもの、○ジの湧いたものを泣きながら処理 
ペットボトルの中の腐ったものは洗ってつぶす。
今にも膨満して破裂でもするんじゃないかってくらい。
自分は着いた日は、入浴すら出来ない。


日曜は朝からないないづくしの実家でごはん
 そして大量の洗濯物 最後の方はこぼしまくってたし、
自分が失敗したズボンを何枚も隠してたり、悪臭に満ちていたっけ
流してないトイレ(まだ歩いていた時ね)、ドアに塗られた・・・
泣きながら拭く

洗濯機を開けたら、こんもりと失敗したパンツとズボンが二枚重ねで入ってたり

もしかして、私がいない間はこのまま回したことがある?
オエー
その洗濯機で自分のものも洗うのだから、きっと汚染されてただろうな

要支援じゃなく、もうこのころは要介護2とか3だったと思う。

(なぜ施設に早く入れなかったの?という疑問を感じられるでしょうが
ハイハイになってても、本人が断固として拒否

遠くから家族を放置して来てくれているから、楽をさせてあげたい、娘に申し訳ないなどと
考える能力は、もうありません。)


お風呂の準備も大変 老人の体が動かず、
例えは悪いが、焼死体のごとく腕も足も固まったような人を
着た切りすずめの服を脱がせるのに大変な汗 
入浴させるのも汗
着せるのも大汗
汚した布団を洗ったり干したり、やっと乾いてきちんとセットしてやる。

庭の草取りをしたり、伸びた枝を切ったり くまん蜂に追われたり
たまったゴミを集めると10個以上になったこともある。
それを一人だけで長らくやっていた。
(娘が参戦してくれたのは最後の二年)

夏掛けとか大きな干し物は二階の屋根を使う。 太陽が当たって早く乾くから
車の屋根まで使った。
ここも早く乾く。
たった二泊三日だから急ぐのだ。 雨だと最低

 階段を何度登って降りたか

まともな手作りのご飯を食べさせてやれるのは、着いた翌日のみ
三度、家事の合間に作る。 自転車で買い物にも行く。
(私は免許なし)(老人は免許は返上してた)

さっき書いた入浴させるのはこの後ね
そして夕ご飯

この夜は自分も入浴できる

で、最終日は月曜だったから
ゴミ出しを、歩いて200mは優に離れてるゴミステーションまで何往復も
(缶とかビンとかはたまる一方だったのね、出せなかったの。)

もう一度入浴させて(最後の方はもう無理だったけど)
お昼を一緒に食べて、夕食まで早めに用意して、使ったものをすべて洗い
室内に干して、最後の片づけをして 掃除機もかけて
後ろ髪引かれながらさよならする。

何にも出来ない老人を置いて行くのが何ともつらかった

(帰り始めたのが、このままでは殺されると思った時から
そばにいるきょうだいが何もしてないのは知ってたけれど、
家の荒れようが尋常ではなくなって来たから)(
このきょうだいとはトラブル発生)

そうして、こちらの家に乗り換え乗り換え帰って来て
荷物を置いたとたん、休む暇なく遅めの夕食を作り始めるという生活

何度食事を作ることか

バタンキューという言葉を使わせてもらう
がまさにそれ

これを6年続けた。

最初もすいぶんつらかったけれど、
年を追うごとどんどん量が増え、重くなり、
最後は、自分も死ぬかもとさえ思ったことも

行くのがつらくてつらくて地下鉄で、ホームに電車が入って来たとき、
ふらぁ~っと吸い込まれそうになるから、じりじりと後ずさりをした変なおばさんだったり

何かがオープンしたとか、何かがリニューアルしたとか
明るい人の流れがあったとしても、大きな荷物を持ち、逆行してた。

その間に年を取った。


こういうハードな生活が、介護認定をやっと受けて
(こちらから実家近くの地域包括センターに
相談したってわけ)(相談したのがきょうだいの中で私だけだなんて、ぼんやりしすぎ)
デイに通うようになって、すぐ発熱して入院 そしてそのまま・・・・・・・で
通う生活は終わりを告げて、身体が一気に楽になったら
今度は息子がこうなっちゃった。


そうして、ぶくぶくと肥える肥える


私は誰かのために生きることばかりで、
ぜいぜい20代までだったのかな、自分だけのために暮らせたのは


もう義実家の介護なんて、だからできません。
汚れものの処理と、食事づくりだけで人生を終わるのは嫌だわ

身内ならまだしも
他人のために人生を使いたくないな
もうあまり残されてないのに
もう6年も人に(身内だけど)差し出した。 


肥満の話から、こうこう終わり方をしちゃって、なんだか。。。。

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