FC2ブログ

どんぶり勘定のアラカン主婦の日々

気ままに綴ります、おばさんライフ

ますますこじれてきている実家関係

今日はパートが夕方から(パーティー)だから
耳鼻科にも行ったし、身体をいたわりながら家事もした。
いたわったところで、仕事に行けば台無しなんだけどね
今回の膀胱炎はきつい
まだ尿は濁っているのが見えるし、身体がだるい
きっとばい菌を叩けていない抗生剤なんだろう
今後の進退の事も含めてマネと話さねば 近々

と憂鬱なところにお肉のきょうだいからショートメールが数通

実家売却の件
解体費用はきょうだいで分けたはずと、とうとう地元のきょうだいに言ったそうだ。
すると、血相を変えて(顔も見れないのにわかるのか知らないが)
全部私が出したという
そして怒鳴りつけられ、怒り狂った喋り

と書いてきた。
ああ、想像できるなぁ 地元のきょうだい

お肉ののきょうだいは、
もういい、決別する
一歩下がった会話もなし、もう帰らない
お墓掃除の話ばかりで嫌になる
二度と帰省しないわ
実家売却反省もなし


悲しい話だけど、お彼岸も帰っていない
下の二人は
実家跡地を売り払ったこと相当怒っているってことだ
それも解体費用は確か皆で分けたよネ
という話になり、だから地元のきょうだいは、土地代だけもらったってことだよ
相続も相談なしだったし勝手に自分名義にしていたしね

とここで気になったのが地元きょうだいが、自分で解体費用は出したって
言葉ね

なんだかおかしいと思い
2017 2月にあったあった。記録が
このブログに書いてあったという

つまり、亡父の通帳を地元のきょうだいが管理していて
法事費用やら、電気代とかをプールしてある共同のお財布ね
ちょうど、実家解体前に取り出せるもの、欲しいものを取りに来いってことで
新幹線で向かったことがあり、それも陽光のさしている時間がリミットで

そういう作業の前に電話があった時、遺品整理の業者とかは入らないの?
と聞いただけで
そんなお金は残してない!今でも処分のお金ぎりぎりしか残していないのに
それともあんたが遺品を引き取るのか?狭い家に
こっちのやり方に文句があるなら引き取れ
と言った内容をここに書いていた。

そうそう、共同のお財布 というか父のお金だ
それを地元が管理していたはず

夫の仕事はお金関係をやるので、ちゃんと明細を本当は出してもらうんだけどな
と言っていたんだけど、そんなことは叶わず、一切知らされてなかったから
そこから豪華ディナーに夫婦で行ったかも知れないと、邪推するよね

それをお肉のきょうだいにメールしたが返事はない。

そばにいるのに親のことをあれだけ放置して
とうとうご飯を一度も作ってやらなかったというきょうだいだが(食物学科に行ったはずだが)
激しやすくて、話し合いなど出来ないタイプで、どうしたらああいった人間が
出来るのだというレベルで、一度も一緒に旅に出ようかと思ったこともなく
バラバラのきょうだいに成り下がったのも、一番上の人格がアレだからだろうね

今後、きついな 色々と
七回忌もまだだよ




スポンサーサイト

PageTop

能天気に電話して来ないで欲しい地元のきょうだい


休みの日に、携帯が鳴る

名前を見ると、実家の土地を売り払ったきょうだい

この前、お肉のきょうだいと、もう縁を切ったっていいじゃない、関わるのはやめにしようよと

話をしたばかり

なのに、メールが苦手な69歳なので、電話をしてくる

人の都合お構いなしで、人の生活時間にかかってくるものが

とても苦手になった自分には余計に不快

だけど、出た。

なんのことはない、手術跡が痛い、お腹にネットが入っていると

ネットが??

ずっとお腹に入れておくものらしい。 腹壁が出ないように、抑えておくものだと


そうか、それは大変だね

と言ったけれど、土地の事は言わないのか、それとも自分が勝手に相続したことを

忘れてしまって、『心情的には共有財産』を売り飛ばしたとは思っていないのか


こちらは怒り心頭なのだ。いくらなんでも解体から売り飛ばしまでが早すぎることと

こちらが負担した解体費用はどうなったのだと問い詰めたい


が、普通に話して切った。

その手で、お肉のきょうだいにメールした。

こちらの生活に飛び込んで来る電話を阻止できなかった。

長年中元歳暮を送っているが、できれば止めたいこと

バカらしくてやってられない



この前は縁を切ったらいいさと言ってたのに
返事は、
じゃ、墓じまいまでは送ったらどうよ
だってさ

墓じまいはいつになるのだったか

近いうちに行われるのかな


すっかり心変わりしてしまって
100円のものを送るのも嫌な気分になってしまいそう



PageTop

きょうだいが半年以上ぶりにやってきた

お肉の方ね

家業が忙しいからか、久々に見ると、老けがひどい。

今回もお肉をどっさりと持ってきてくれたが、
いつもより量が違う。
あの店の主人もこの買い方には驚いただろう

どしたの
はっとした。
そうか・・・

もうこちらと親密に、力を注ぐことにしたのだろう

地元のきょうだい(実家跡地を売り飛ばした人)の事を口にしないで
気分が悪くなるから

そう言った。

いったん家に来たあと、外に買い物に出るのが定例で
その買い物がてら、言ったことは

実家の最後の建物の解体費用が何百万かかったから、
それをきょうだいの頭数で割って
各自が負担したのに
土地を売ったお金は自分だけが手にしたこと


初めて気づいた。
そんなことを考えもしなかった。

確かにそうだ。厳密に考えると

しかしその後、二人とも、地元のきょうだいの悪口を言う気力もなく
ビールをしこたま飲んで、美味しいお肉をよばれた。

猫の貯金箱はしばらく我が家にあったが、持ち帰ってもらった。
ウケていた。

地元きょうだいからの退院の内祝いでもらったデパートの金券
当然私にも送られて来たけれど(お見舞金を送ったから)
お肉のきょうだいにも送られてきていた。

これ、要らない
○○ちゃん(娘)にあげて、私は欲しいものが無いの
と、二冊を手渡してくれた。


子供たちの小さいころから、年に数度遊びに来て
沢山食べさせてくれ、子供服をプレゼントしてくれ
到来物の多い家だから、それをどさっと箱ごと送ってくれることもある
いったいどれだけお世話になっただろう


子供たちは寝ていたり、出かけていたりで、きょうだいと殆ど話すことはなかったけれど
各自お見送りだけはしていたのは、昔と関係は変わってきているにしても
最後はきちんとやるのは、分かっているのだろう子供たちも


ね、もう○○のおばちゃん(地元のきょうだい)の事は気にしなくていいから
○○のおばちゃん(お肉の)を大事にね
と娘に言うと

大きくうなずいていた。

PageTop

実家のあった場所の土地を

地元のきょうだいに売り飛ばされていた。


奥まったところにある土地で、この前売れた場所のように大きな道路沿いとかではないので
しばらくは柵をして、解体後の土地をそのままにしておいた。

いつかはでもどうにかするんだろうな、くらいに思っていた。

母が逝った20数年前ほどは、子供がいるのは私だけだから、
将来的には子供たちに行くようにする
のようなことを言っていたのだが
父も逝った後、地元で色々と大変だから、菩提寺の住職と相談したら
お宅が継げばよろしいじゃないですかと言われたから、これらは私が相続するから
と、書類のほとんどがきょうだいの名前で埋め尽くされたモノを送って来
判を押して返送しろ
となった時、以前も書いたが文句を言った。

すると敵は激高し、
では、法事も墓も全部やれ
今後のこちらでやることは、遠くから帰ってこい
司法書士とのやりとりも勝手にやれ
こちらは手を引く
のようなことで、黙るしかなかった。

ところが、売ってしまったと?

なぜわかったかというと
がんで開腹手術を今年になって受けて、この前お見舞いに行ったばかりなのに
また、腹腔ヘルニア?で開腹手術となって入院したというので
お肉のきょうだいと、前回同様お見舞金を渡し、今回は、娘が新幹線で行って
お見舞いを言付かってくれたのだった。

病室で、西隣の人が土地をずっと欲しがっていて、売った。
もう敷地に入らないように。というか、もう建設中だと娘に言ったらしい。

自分の土地だから煮ようが焼こうが勝手
そう思っていたから、世間話のように娘に話したのだろうが
帰宅した娘から聞いた瞬間の衝撃たるや


勝手にそっちが決めて自分のものにした土地でしょうに
それに、確かに法律上は自分のものだけど、心情的なものがあるでしょう
なのに相談もなく、一言もなく
私たちが住んでいた代々の土地を売り飛ばすなんて
それも母が嫌っていた隣に

新幹線の各駅停車の駅前に、駐車場があるじゃないの 8台は見えたけど?
毎月入ってくるお金もあるじゃない
義兄よ
妻の相続した土地も、二つとも大きな道路に面してますよね
また売れますね
富くじが当たったようなものですか
自分の土地だけは死守して、嫁の実家のものを売りさばくとは


姉も同罪だ。

そこまでして高級車に乗って、ゴルフ三昧したいかい
二人で外食三昧したいかい
家の解体を急いだのはそれだったのか
思い出の家なのに、まるで土地だけが必要かのように
急いだわけだ
我々が手伝いに行ったのは、それに加担したってわけか
バカらしい


お肉のきょうだいは物静かだけど
この件に関しては激怒していた。

ああ、お見舞いのお金、二度も渡さなきゃよかった
とまでメールで送って来た。

それは私も同じ気持ち

月に一回お参りしているところがあって(お百度のような)
そこで、あんたたちや、地元のきょうだいの事もお祈りしていたけれど
次からはやめよっ
それから、ばちが当たったんだよ、きっと、今回

遠くなった故郷がますます遠くなったとも書いていた。


それもあるけれど
地元のきょうだいとの間に、何か決定的なものを感じた。
赤の他人よりひどいと

きょうだいは他人の始まりというけれど
同じ血を分けたきょうだい、我慢しながら死ぬまで付き合っていくのだなと
思っていたが、どうやら心の中で何かが終わったようだ。

どうせ生きていても、今生でのご縁も長くてあと20年  いや、10年か

おとなしいと思ってバカにしていたら
サイレントマジョリティ、じゃないけど、すーっと消えるぞ
今後近寄りもしないだろうよ


売ったお金を皆で分けましょうってあとで言うんじゃないの?
と言うと
お肉のきょうだいは即座に否定した。

もう少し待ってみて
やはり声がかからなかったら、この書き込みは発動するってことか

生きている間には色々あるものだ





PageTop

熱中症って意外に身近にあるから 気をつけないとね

しかし、昔は日射病に気をつけて
外に出るときは、帽子をかぶりましょう

くらいだったよね。

いつからこうなってしまったのだろうね。

今はもう更地となった実家の話だけど

家の周辺は、色んな人生の見本市のようなありさまで

こんなに色々あるっていうくらい、最後の方はおかしなことになってましたね。


つか、こんなもんですかね
田舎だけど、かなり密集しているところなので
間に道があるけれど、囲まれているというか

一軒目
私よりかなり年下のお子さんたちも優秀で、立派に育った後
当時50代の奥さんが犬の散歩に行ってる間に、旦那さんが心筋梗塞で倒れ
帰らぬ人に
明るかった奥さんはその後、言動がおかしくなり、最後は精神の病で
病院に。もう帰れないようで
家は子供たちが人に貸してしまったという


二軒目
旦那さんが、定年退職したとたん、交通事故で意識不明に
意識が戻らないまま10年ほど入院したまま
やっと?亡くなったけれど、奥様は疲れて心を病み
入院したそうだ。
生前の父は、その奥さんに大層お世話になったのだけど
そういう行く末は知らずにあの世に行った。

三軒目
3世代で同居していたご一家
かれこれ8,9年前だったか、ご子息が60歳で休日の畑で倒れていてそのまま帰らぬ人に
熱中症だったらしい
残された母は、弱ってしまい、最後は胃ろうをしたまま4、5年生きた らしい。
嫁だけ元気

4軒目
覗きが趣味だった奥さんは、古い家を建て替えた後は
神経質に掃除しまくっていたが、ご主人が肺を患って亡くなると
あとを追うように肺がんで亡くなった らしい。
たぶん60代半ばあたりだったりと思う。
子供二人は結婚もせず
家を出ているので、綺麗なお家は無人になった。

あと数軒書きたかったけど
結構あるわね

こういう話をすると
夫が、お前の実家のあたりは呪われてるのか

と言われたことがあるが
そうかもしれないな
人生の縮図にしても、有りすぎだよね

熱中症と言えば
田舎のきょうだいが、8月の炎天下、実家の墓掃除(草引き)をしている途中
意識を失い、倒れているところを誰かに発見され、救急車で運ばれたのが
おととしのことだったか

そのまま誰にも見つけられなかったら
きょうだいは命は無かったのだろう

ま、その後、今年は手術となってしまったから
その頃から、芽はあったのかもね

お話は、熱中症に気をつけましょうってことでした。




PageTop

土地の事で契約関連のお出かけをしたら疲れた。

田舎の土地のことで、小さな賃貸契約を結んでいる。

その業者とは再契約とする時期になってきて、お肉のきょうだいとともに
二人の中間地点、ではなく、お肉のきょうだいの町の近くの駅まで、
業者には田舎から出てきてもらった。


なぜか土地は共同名義で、お肉のきょうだいが5/3 私が2/5
だから、わずかながら貰うお金にも差がついている。
なぜ私が2/5になったかというと
地元のきょうだいの持ち物がかかってる方を、私が割り当てられたからだ。


子供がいるのは私だけだから
順番通りならば、子供たちが相続するのかな
でも、共同名義 しかも不公平な割り当てのままだと困るよね

分筆しなおすと大変なことになるし
生前に渡すと、贈与税がかかるし
私たちに何かあった後だと、相続税がかかるし
いずれにせよ、大層難儀なことになる。
税金を用意しておかないおとダメだだなんて
苦痛だろうに


子供二人が将来的に同席して判をつくか
いや、息子はどこにいるのか、行方不明になってないだろうか
娘は独身のままだろうか
二人とも結婚もしなくて子孫が居なかったら、誰が継ぐのだろう

夫の家系にいとこがいるから、その子供に転がり込むのかな

などと果てしなく、悲観的な想像が続き
ますます落ち込むことになる。

今日は仮の書類を見せられて、正式にまた送りますってことで
あちらは新幹線日帰りで立たれたが
こちらは残ってお茶したり、デパ地下で少し買い物をしたりした。

人出が凄くて、外国からの観光客も多いよねと言いながら歩いてたら
お肉のきょうだいは承り顔(よく道を聞かれたりする人)なのか
外国人の中年の女性に、デパートの位置を聞かれ
えーーっと、ゴーストレイト、のあとが続かない。
私など、素晴らしい発音で、ディパートメント・ストー?
と単語を一個発しただけ

結局、この辺に明るいお肉のきょうだいが、一緒に行ってあげるってことになり
相当歩き疲れていたのに、逆行したりして、
本当にへとへとになった。

しかし、あれれ
左の歯が浮いたようだったのに、殆ど感じなかったぞ?


やっと帰宅出来たのが18時半

その前に、マンションの下で待ってたら、モニターに息子が乗り込こんで
来たのが見えたので、今からジムかしら、と
下でドアの真ん中に顔をピタッとくっつけて
降りてドアが開いた時びっくりさせてやろうと待機してたら
開いたとたん、
一瞬ひるんでたけど、あきれ顔で、
どこの変なおばさんかと思った。
ってさ

一応こちらの作戦成功とにやりとしてたら、

俺、今から○○(彼女の住む町)に行くから

ぼーぜん

あそ

家に帰ると、息子に突然言われたようで
お金も渡したという。

よくそんな気持ちの余裕があるねぇ
将棋と野球のTV観戦とゲームで明け暮れてる無職なのに

いつまでこういうことを続けて行くのだろう

どっと疲れが出た。
ご飯だけは炊いてあったけど
おかずはまだで、結局19時半に出来上がった。

急にまた歯が浮いたような痛みがやってきた。
いつ爆発するかわからないけど
治ったかと思ったのに

この家には魔物が住んでいるのかも





PageTop

お見舞いに行ったので移動

がんの手術をしたきょうだいを見舞いに
お肉のきょうだいとともに移動した。


人が多いなー
日曜日だったし

やはり手術後数日たったばかりで
やっと歩けるようになった日だった。
ドレーンは入ってるし、痛々しい。

ただ、義兄がかいがいしく世話をしているし
寝ぐせの髪すら笑いながら触ってるし、
甘え切ってるのを見て
ああ、これなら大丈夫、と安心したとともに
羨ましいなあと思ってしまった。

もし私が入院したら・・・・?

病室の隅っこには・・・・・・来てくれるであろう


とにかく人ごみの中を移動するのは、前も書いたが
つらくなってきた。

そしてお金がかかる
お見舞いを包み、新幹線に乗り往復・・・
お弁当に飲み物に、お墓参りのお花に

血縁の手術入院に、何て冷酷な、と思われるだろうけど
聖徳太子(じゃないけど)がひらひらと飛ぶように無くなるのは
もう給料が無い家にはきついものだねぇ

と、この前
お肉のきょうだいが久々我が家に来た時
塗香(ずこう)をおすそ分けしたのです。
何かと不思議なことを経験しがちな人だから、お守り代わりにと

ところが逆効果だったようで

この前貰った塗香の入った袋(ジップロックの超小型)
その日から、一週間、ひどい頭痛とくるぶしまで痛くなるほどの不調と
胃痛で、ほとんど食べられなかったらしく
山の中の霊場で買ったものは、怖い。
何かが憑いてたかもしれない。今度からはやめて
という。

私は平気だけど?


とにかく、私には合わなかったから


そうかー 良かれと思ってあげたのだけど
(鈍感で良かったのかな、自分は)

と、帰宅してその話を娘にしようとしたら
日曜日はずっと寝てたし、残して行った食事も食べず
スープばかり飲んでいたそうで

耳鳴りがひどい

というので、

じゃ、地震が起きるかもよ
耳鳴りがしたら、日本のどこかで地震が起きる人いるじゃない?

と冗談のつもりで話していたら
夜中に出雲方面で地震があったとか


((((;゚Д゚)))))))

娘よ、もしかして
体感するタイプなのだろうか



PageTop

地元のきょうだいは病気

検査結果が出たようで、
初期の大腸が〇とわかったそうだ。

やはり、そうだったか。
ポリープは内視鏡で採れたのに、途中から先生が、
あ、と言ってたらしいから


いつもガチャ切りするような人が、しおらしい。
さすがに結果が出るまで、生きた心地もしなかっただろう。


手術は4月に予約が入った。

仕方ない、早く取り除いたほうがいいよ

身体にメスが入るきょうだいは、とことん入る運命なのか

自分もわりとそう。


しかし地元のきょうだいは、亡くなった母親と同じ年になる

親の年を超えられるか
殆どの人は一様にそれを意識するらしいね。


お彼岸の墓参り墓掃除が気がかりだと言っていた。

私は行かねばならないだろう
そして、お見舞いもあるから、一度ではだめ
二、三回は往復することになるのか

身辺に動きがあった
いつかはこんな心配をする日が来ると、予想はしていたが
割と早く訪れた。

PageTop

お肉のきょうだいの話は面白い話が多い

お肉のきょうだいと呼んでいるのは
年に数回、二時間ほどのところから来て、
子供たちが幼いころから、いいお肉をお腹いっぱいたべさせてくれたからだ。

前も書いたことがあるが
不思議な話が多い人で
今日も本当かしら、と思えるようなものばかり
夫も飲みながら聞き入るばかり

婚家の近所の人が亡くなった時、うちに挨拶に来たという
玄関前に枯れた葉っぱがあったから、掃除しようとしたら、
葉っぱじゃなくて、巨大ナメクジだった。

で、その人だと確信したらしい。

どーして分かるの?

すりガラスに、その人の顔が浮かび上がったから


はあああ?と私

で、あとで見るとナメクジは消え失せていたという

また、10年くらい前に、家庭である大きな出来事があった。
その二年前くらいに、そうなる予知夢を見ていたという。
だから、落ち着いて行動出来たと

はあ=そうですかーー

その時に見たものは、現在の家の家具の並べ方と同じだった
当時は違ってたのに


へーーーーそうですかーーー





また、実家は無人で(当時、今は解体済)、地元のきょうだいのところに父の位牌を預けているから
新幹線に乗って、訪れた帰り、
アゲハ蝶が付いてきたそうだ。

私もお墓参りで経験あるーー
と私

それは聞いた。よくある話
だけど、その時は、新幹線の窓の外に止まったんだ。


へーそれは凄い


最後まで付いてきたなんて不思議


最後まで?
蝶々が付いてきた??と私

あ、それは新幹線の方が早いから、
すぐ見えなくなったけど


ついて来たら怖いよ--

後、仕事柄、付き合いが多くて
ある高級飲食店の人から、昔、不思議な話を聞いたそうで

大きな事故があったとする。
それに有名人が乗っていたとする
だけど、その飲食店の人は、まだ事故を知らなくていて
その夜、その有名人が確かにお店に来てくれたのに
翌日、その人が事故に遭ってたことを知って
呆然としたって話


不思議でもなんでもないですね

ってことはないですね


あとは45年前のドキドキした話も
酒の肴となったかな

田舎に、小高い場所があって
そこには、都会から来た人たちが、転勤で住んでたエリア
で、遠いけど小学校に歩いてきてたのだけど、地元民と比べると
皆身なりが垢抜けてるし
お母様手作りのタータンチェックやギンガムチェックの釣りスカートだったりした。

習い事はこっちがそろばん習字くらいなのに、どこにお稽古先があるのか、
バレエにピアノに、絵画に、とかだったかな
私もそのエリアに遊びに行ったことがあるけれど、50年前くらい前 
こっちは五右衛門ぶろだったのに
シャワーがついてて、トイレは水洗 
お母さんの車がサニーとかだったかな こっちの母親はサザエさんみたいな頭なのに
その辺のお母さんは美智子様みたいに後頭部を膨らませてたっけ?
名前もハイカラで、子なんてつかない。男子は 浩(一文字の名前)と書いて、コウ と読ませたり


でも、だよね?とか言葉遣いが冷たく感じて嫌いで、遊びに行って、
二人にトイレを覗かれたり、おませなうえに、裏で意地悪なのが素朴じゃないなと
私はその後も付き合う友人は出来なかった。

だけどお肉のきょうだいは、ずっと付き合ってる人がいるそうで、
20歳の大学生の時、あちらも大学生になっていて、
家に呼ばれて泊めてもらったことがあるそうで
彼女の親の転勤はもう終わって、今までの都会の高級住宅地に一家で住んでたそう

お父さんはT大卒で 赴任先は外国もあったそう
で、お呼ばれした日
先にシェリー酒をどうぞ、とグラスを渡され目が点に
こんなお酒があるの?知らなかった



出てくる料理ももう何だったか、ナイフとフォークに気をとられ
ちょうどオイルショックの頃で、この優雅なご一家に田舎者が混じって
ひたすらご馳走を口に運ぶことになって、未だにその時の焦りを思い出すそうだ。

そうだよねー
うちじゃ煮魚と白和えと胡麻和えとヌタ、その他、で育ってるもんね
父親はキリンビールの瓶に、日本酒はちりんチロリで燗をして。

ただ、あちらも田舎者ぶりなんで百も承知じゃないの
一家で赴任して来てて、あのド田舎の小学校に通ってたわけだから
雰囲気は分かってるでしょ

まあ、そう

と、きょうだいでなければ通じない田舎のあれこれを
話せて楽しかった。
故人のものも多く、笑って笑って・・・・・
内容はともかく、話し方が生き生きとして
臨場感があるから、文では伝わらないのが残念

不思議話、思い出話でお酒が進んだ日でした


PageTop

どんなものだって生命力が凄いもの

遠距離介護に行く前は、半年に一回帰省してた。

だけど親は段々弱っていくわけ

どんどん荒れて行くのが分かる。

そして、足を踏み入れたとたん、誰の手も入ってないのが一瞬で判明

近くにいる人もいたのに、何も移動してない。
手が入ってないのが分かって愕然としてたのです。

料理をしようにも、本人も周囲も使わなかったから
賞味期限の切れた調味料とかばかりになってて

いる間に料理をするから、一から買わなきゃならなくて、

だからどんどん小型化していきました。
最後は醤油だって50mlくらいのものを買ったりね

で、毎月帰るようになって、第一段階の小型化の時、
お醤油の容器のグッドデザインで賞を貰ってる赤い蓋のものを買ったのね。

穴が二つあるもので、醤油さしの中に入ったまま売られてるもの、ご存知ですよね

量的にもちょうどよいし、もうこの家では一リットルのものなど必要ないわ、と



ところが、すでにその頃は老人は、台所にも足を踏み入れなくなってて

帰る前に作って食べさせ、残りは食べてね、と置いた夕ご飯が、翌月ミイラになってたりとか

緑色の粉が降りかかった鍋の残骸があったり、その後片付けからスタートするのはきつかった

時は盛夏

あらゆるものに〇ジが湧き、

なんと、醤油さしの赤い蓋の穴二つに、極細のウジが湧いて、
うじゃうじゃうごめいていた時は、ぎゃあああと叫んだものです。

お料理しようとしてたから

コバエが産み付けたのね

栄養があるんだろう  しかし初めて見たこんな光景

そうやって、どんな所でも生きて行く生命力の強さに驚いたのです。



それに引き換え、この老人は・・・・・とその時は思い、

今は、このドラ息子は・・・・と思い・・・・


生命力と言えば、またいずれ雀の話でもしますね。

PageTop

17歳の時、いったい何年前だ、その時に聞いた話

今日は息子がいないから思い出話を

うち実家のことは折にふれ書いてきたのですが
幽霊は見たことがないけど、皆一様に少しは変わった体験はしてたのですね。
(Re;実家関連のカテゴリー)

不思議な話を聞いたのは17歳
人間こういうこともあるんだ、と

お肉(を持ってきてくれる)のきょうだいとは5歳違ってて、
彼女は結局、学校の先生にはなれなかったけれど
教育実習を母校の中学で行うために、帰省してたのね。

きょうだいそろって同じ先生に教えてもらったこともあって、実習中の話を
毎回おかしく聞いてたの
家を起点として高校は逆方向だから、通らなくなっていたし

私も知ってる一人の先生(当時 教頭)が、一人の3年生の勉強を見てやってくれないか
と言ったそうな
ちょうど中学から実家までの途中にある家で、それも、私の部活の二つ後輩の女の子らしい
顔を知ってるくらいで、そんなに接点は無かったけれど、事故にあって3か月は入院していたから
勉強が遅れてるのだと

先生の頼みならと受けたきょうだいは、それから通うようになった、と言っても
実習中だから、ほんの少しの期間だ。
それでも、教えていたら、授業中その子が正解を言うと、周りが驚いたくらい
少し進歩があったらしい。

家に行って教えながら、その子と色々話をしていたら
不思議な話をするんだよ、と夕食時に言い出した。

彼女のお母さんが、今日、お父さんが事故に遭うから気をつけてと言った日に
自分(娘)が通学途中、家から出て、すぐ事故に遭った。
(私も知ってるあの場所に、車が突っ込んできてはねられた?
どうやったら、人が歩いてる場所に突っ込むかなあというくらいの場所)
で、意識不明の重体
 
お母さんは、何百キロ先にあるお寺?宗教施設?に行き
一晩中、あちらにどんどん向かっていく娘の霊魂(火の玉)を引き留めようと、
一心不乱に祈ったと言う。

命がけくらい?で祈っていると、火の玉がこちらにガクッと向いた瞬間、
その寺(施設?)だけが大地震のように揺れた。
ああ、これで助かった、とお母さんは思ったらしい
他県の病院では自分が意識を取り戻していたそうだ。


そんな話を聞いて、顔は知ってる子だったから、興味深く
でも、いったいそんな話が本当にあるのだろうか
朝はお告げ?
でもそれは当たらず、娘に?
霊魂をこちらに戻すことができるものなのか
とか、高2だった自分は不思議でたまらなかったのね。
と同時に怖かった。そんな、能力が


で、きょうだいも実習が終わり、当然その子の家に行くことも終えたある日
夜、そのお母さんがうちを訪ねてきて、お礼の品を持ってきた。
母が対応して、きょうだいもあとで出て行ったと思う。

玄関から居間は直接見えないけれど、ドアは開いてたし、TVをつけていたから
音はダダ漏れで、人の気配もわかったと思う、玄関で
来客に押し黙ったから

きょうだいが、最初、例の人というものだから
そんな特殊な能力のあるお母さんが来た!と緊張して、
もしかして、私たちの姿が全部見えているんじゃないかと、
恐怖だった瞬間まで覚えてる

人間の記憶の断片とは、人によって全然違うから、困る。
きょうだいにこれを言うと覚えていなかったのね。
当の本人だろ、と

同窓会などでも、皆、記憶の断片が違うものだけど
この話は、人生で初めて遭遇した不思議なお話で、
忘れようとしても忘れられないお話なのです。

つまり
この世は、見えている世界だけがすべてじゃないのだろうと
思った次第です

長々とすみません


しかし
この話
本人が読んだら、私が誰だか身バレするね
フェイクを入れたほうがいいかな



PageTop

母は養女だったけど養母より先に亡くなった

子供のいない夫妻が、夫の腹違いの弟の子を貰った。
 それも二歳前に母親に死なれた子を

一人っ子で育った母(生きていたら90歳)は、その事実を何にも知らずにいて
ある時、級長だったから、先生に頼まれて、
職員室で一緒に皆の戸籍を整理していたそうだ。11歳の時

(今じゃ個人情報なんとかで大変なことになってるよね)
当然自分のも見るよね
そこに養女とあって、ものすごく衝撃を受けたそうで、
その日のことは、事あるごとに聞かされた。

急にお母ちゃんと呼べなくなったそうだ。
どうしても無理になったと

父親と呼んでる人は、かろうじで自分の父親の血縁だったから
可愛がってもらってる実感はあったそうだ。
孫の自分は、祖父の記憶が殆ど無くて、どんな人物だったのか
あとで聞いたくらい

成育歴でどういうことがあったのか知らないが
父(お婿さん)が来ても、どこか水臭い家庭というか、
いつもピリピリしていたと思う。
私たち孫も、本当のおばあちゃんじゃないことを、
小学校高学年で知ることになったのだけど
血のつながりが無いと分かっただけで、急に白々しく思えるのは何でだろう。

こういう時の対処の仕方で、人間力のありなしが見えてくるね
とにかく我が家は無理だったようだ。

前も書いたが、本物の親子のやり取りを見たことがないまま育った。

それでも離れに祖母が住んでいるし、事情を知らない人たちは
普通の家族だと思われていただろう。
怖くてキツい祖母のいる人だと。

祖母の姪が徒歩五分くらいのところに家庭を持ってて
母は、祖母にいつも姪の名前を出されて、
いざとなったら〇〇〇(姪の名前)に世話になる
と機嫌を損ねては、家を出ていくみたいな脅され方をしたようだ。

一歩も家を出たことのない母(嫁いでもないし、井の中の蛙で生涯を終えた)には
今の生活がすべてて、逆らえずにいたようだ。


ところが、母が69歳で入院した。同時に手術もしたが、
もう帰って来れない病いで
周囲だけがバタバタして、地元のきょうだいは毎日来るし
遠くから幼い子たちを連れてお見舞いにくる私も、他のきょうだいも出入りし、
何かが起きてることは祖母には分かっていたとは思う。

自分はもう死ぬから
還暦あたりから言い続けていた祖母は98歳になっていた。

母の入院中は、子供のいないきょうだいが仕事を放置して
遠くから参戦
患者に付き添ってくれて、病院と実家を往復しては、
家の食事も変わらず作ってくれたので(地元のきょうだいが
作るべきなのに、父にも何も作ってやらなかった人だから、いわずもがな

祖母と父は変わらない生活が出来た。
(葬儀後、付き添ってたきょうだいは、疲れ果てて肺炎一歩手前)

そうして、二か月後、遺体が実家のお座敷に安置され
友引だからなどとこちらで相談する中
私は見た。
98歳の老婆が声も出さず泣きじゃくっているのを

誰も忙しくしていて、家で葬儀をしたので、町内会の長も来たり
ドタバタしていた隙間に、布団をずっとのぞき込んでいたのを
誰も気に留めずいたが、私は見ていた。

血縁でないというのは恐ろしいことだ。
蚊帳の外
長年一緒に暮らしても

誰もに激しい気性を嫌われ、家事はすべてを母に任せ
そう、育てた義理の娘にまで世話はされたが
最後までそっぽを向かれていた人だったが
70年近く子供として接してきたものに死なれて
悲しくないはずがないだろう。

父はその祖母を嫌い、同じ食卓にもつかなかったのに
残されたのはその二人

母親の死期を早めてしまったのは、祖母のせいだと言い始めるきょうだいもいた上、
父は母の入院後からおかしくなっていて、私が新幹線で駆けつけ、
付き添いしていたきょうだいと会って父と地元のきょうだいも病院から呼び出され、
皆で臨終をみとったあと、付き添いきょうだいと自分とで
一足先にタクシーで駆けつけた実家は、
なぜか色んなものが入ったスーパーのビニール袋が、何十個も居間に散乱していて、
異様な光景に立ち尽くしたが、まずは泣きながらそれらを片付けるという、
それはそれは悲惨な通夜準備だった。

前夜、病院から危篤という知らせを受けた父は、発狂でもしたか

友引だったので、延びた葬儀だったが、真夏なのに、家の布団に寝かせた遺体が
何ともならないのが不思議だったし
生き返らないから、やっぱり母は死んだのだなとぼんやり思ったり
こちらもおかしくなってたかな

最後の棺に蓋をする前にも
祖母は静かに泣きじゃくっていた。
おかしくなった父に、祖母を目の端にも入れないきょうだいたち
こちらも病みそうだった。


さて、付き添いも終わり、葬儀もおわり
食事の支度をする人が仕事にも復帰することになったけれど
地元のきょうだいは、遠くから来ていた人の労働に甘え、ごはんの出来ている実家に
泊ることしばしば
父の介護の時も、何もしなかった人だから

今後、家事の出来ない父と、98歳の年寄りが残されることになって、
後ろ髪を引かれながら、幼い子供たちと帰って行ったが
8か月もしないうちに、祖母は離れで倒れて、一週間ほどで病院で息を引き取った。
それが20年前

思い出すと、母の葬儀のあと、自分を入院させないでくれ(当時の姥捨て 今思うと優雅だ)、と
年金をためた現金の束を見せて
家にいさせてくれと父に懇願する老婆を見て
他人の中で年を取ることの悲しさ をひしひしと感じた。
我が家が冷たかった?
のかもしれない?
かも、知れない。

でもしかし養女を迎えて67年後
こんな最晩年が待っていると誰が思うだろうね。

その祖母が亡くなるまでの8か月のひどさは、とても言えるものじゃなく
まともに食事も作っていなかったのを見た。

だって、父がまず自分のごはんすら、どうしようと悩んでいたのだから
(自炊出来ないってことは本当にだから残念なこと)

私も嫌っていた祖母だけど、世話にはなったから

最後に祖母の孝行が出来たのは
3か月お風呂に入っていないのを引っ張って入れたことだ

地元のきょうだいが、歩いて行ける事務所にいるのに・・・
悲しくてたまらなかった。
こちらは遠方で、幼い子供連れなのに

でも、祖母の場合は長生きしすぎたなぁと思った。

長生きしてもしんどいことが多いよね
子供に先立たれることもあるだろうし

父の場合は、生ける屍になったまま20年
死にたくても生きていたし、それはそれは苦痛であっただろう。、
また、この世の中、生きたくても死んでいく人もいる

理不尽だ

しかし何が言いたくて、祖母の話を出したのだろう。

そうそう、結局祖母は、母をいつも脅していたのだ
すぐそこにいる姪のところにいつでも世話になるぞと

ところが、一年に一度も顔を見せることも無く
母が亡くなっても、葬儀には来たけれど、伯母(祖母)のところには一度も来なかった。
徒歩5分でも
姪にも嫌われていたのだろうか


人間、どうやって生きてきたか、通知表を貰うときが来るのだろう。
血縁の中でも
他人の中でも

しかしだ、
オール5だったからと言って、よい終末が用意されているわけでもないだろうし
それがとても困る
家族関係もどう変化するか分からない。
いったい良い終わりってどんな?

家族がいるってことはいいこと?
うん、少なくとも、たった一人で生きるよりはいいよね
上のような確執もあったりしても

さて、今のままだと、子供たちだって一生独身かもしれないし

いろんなしがらみを抱えなくてよい分
親亡きあと、夕刻 どこの家からも香って来る、夕餉の匂いのなか
、一人、誰も待つ人のいない家に帰る自分
どうして家族をもたなかったんだろう?なんて思ったりするかもしれない。

また話が逸れた。
子供と言う存在は
親にとっていったい何なんだろう?

どうして、自然界のものは
命がけの繁殖で、DNAを伝えるの

親は、すべてを子に与えて、果てる

それでいい

それが一番平凡で正しい生き方なのかしら

いったい何を言いたいやら
すみません


PageTop

太り方が尋常じゃないのは労働が少ないから

体重だけじゃない、体形がやばい。

自分比で最高に醜い体型
妊娠8か月、くらいのお腹


息子に付き合って起きてたから、
外に行かず引きこもってたから
も、あるけれど
介護が急に無くなったから、もあると思う。

それほどハードな運動だったのだろう。

当時、まずこちらで朝から二日分の食事を作ってラップして、
もうここで疲れてる
(当時は夫だけ 子供たちは一人暮らし たまに帰って来てたことも)
あれこれ指示して、
さあっと荷物を持って、新幹線に乗りに行く、

けれど、そうそう駅が近いわけじゃない。
これが土曜日
混んでいる。

そして、やっとあちらの新幹線の駅についてからは、在来線に乗る。

実家近くのスーパーまで、バス停から降りて歩いて行くと、
帰りは実家まで重すぎるので
介護の最後の方の時期は、着いた駅に歩道橋で隣接するショッピングセンターで
買うことにした食料

しかし何袋にもなって重いから、節約のため、2000円以上するタクシーに乗らず、
本数の少ないバスに乗るから、このあたりで既に疲労困憊

真っ暗だし、うら寂しい気持ち 
これから楽しいことが待ってるわけじゃなく、つらいことが待ってると思うとね。

バスから降りて、実家までまた歩く。
街灯が暗すぎる、怖い。

玄関は開け放してる。が悪臭が漂ってるのが分かる。
荷物を持ち、足を踏みいれる瞬間が憂鬱の極致だった。

あの家がこうも変化するとは

着くと、老人はあちらのゴミ化した部屋(応接間と呼ばれてた場所)で寝てるから、
顔だけ出して、こちらで買った総菜を食べ、ひどい汚れの家を大まかに片付け、
朝食の準備をし、寝る。

大まかな片付けと言うが、かなりレベルが高い。
腐ったもの、○ジの湧いたものを泣きながら処理 
ペットボトルの中の腐ったものは洗ってつぶす。
今にも膨満して破裂でもするんじゃないかってくらい。
自分は着いた日は、入浴すら出来ない。


日曜は朝からないないづくしの実家でごはん
 そして大量の洗濯物 最後の方はこぼしまくってたし、
自分が失敗したズボンを何枚も隠してたり、悪臭に満ちていたっけ
流してないトイレ(まだ歩いていた時ね)、ドアに塗られた・・・
泣きながら拭く

洗濯機を開けたら、こんもりと失敗したパンツとズボンが二枚重ねで入ってたり

もしかして、私がいない間はこのまま回したことがある?
オエー
その洗濯機で自分のものも洗うのだから、きっと汚染されてただろうな

要支援じゃなく、もうこのころは要介護2とか3だったと思う。

(なぜ施設に早く入れなかったの?という疑問を感じられるでしょうが
ハイハイになってても、本人が断固として拒否

遠くから家族を放置して来てくれているから、楽をさせてあげたい、娘に申し訳ないなどと
考える能力は、もうありません。)


お風呂の準備も大変 老人の体が動かず、
例えは悪いが、焼死体のごとく腕も足も固まったような人を
着た切りすずめの服を脱がせるのに大変な汗 
入浴させるのも汗
着せるのも大汗
汚した布団を洗ったり干したり、やっと乾いてきちんとセットしてやる。

庭の草取りをしたり、伸びた枝を切ったり くまん蜂に追われたり
たまったゴミを集めると10個以上になったこともある。
それを一人だけで長らくやっていた。
(娘が参戦してくれたのは最後の二年)

夏掛けとか大きな干し物は二階の屋根を使う。 太陽が当たって早く乾くから
車の屋根まで使った。
ここも早く乾く。
たった二泊三日だから急ぐのだ。 雨だと最低

 階段を何度登って降りたか

まともな手作りのご飯を食べさせてやれるのは、着いた翌日のみ
三度、家事の合間に作る。 自転車で買い物にも行く。
(私は免許なし)(老人は免許は返上してた)

さっき書いた入浴させるのはこの後ね
そして夕ご飯

この夜は自分も入浴できる

で、最終日は月曜だったから
ゴミ出しを、歩いて200mは優に離れてるゴミステーションまで何往復も
(缶とかビンとかはたまる一方だったのね、出せなかったの。)

もう一度入浴させて(最後の方はもう無理だったけど)
お昼を一緒に食べて、夕食まで早めに用意して、使ったものをすべて洗い
室内に干して、最後の片づけをして 掃除機もかけて
後ろ髪引かれながらさよならする。

何にも出来ない老人を置いて行くのが何ともつらかった

(帰り始めたのが、このままでは殺されると思った時から
そばにいるきょうだいが何もしてないのは知ってたけれど、
家の荒れようが尋常ではなくなって来たから)(
このきょうだいとはトラブル発生)

そうして、こちらの家に乗り換え乗り換え帰って来て
荷物を置いたとたん、休む暇なく遅めの夕食を作り始めるという生活

何度食事を作ることか

バタンキューという言葉を使わせてもらう
がまさにそれ

これを6年続けた。

最初もすいぶんつらかったけれど、
年を追うごとどんどん量が増え、重くなり、
最後は、自分も死ぬかもとさえ思ったことも

行くのがつらくてつらくて地下鉄で、ホームに電車が入って来たとき、
ふらぁ~っと吸い込まれそうになるから、じりじりと後ずさりをした変なおばさんだったり

何かがオープンしたとか、何かがリニューアルしたとか
明るい人の流れがあったとしても、大きな荷物を持ち、逆行してた。

その間に年を取った。


こういうハードな生活が、介護認定をやっと受けて
(こちらから実家近くの地域包括センターに
相談したってわけ)(相談したのがきょうだいの中で私だけだなんて、ぼんやりしすぎ)
デイに通うようになって、すぐ発熱して入院 そしてそのまま・・・・・・・で
通う生活は終わりを告げて、身体が一気に楽になったら
今度は息子がこうなっちゃった。


そうして、ぶくぶくと肥える肥える


私は誰かのために生きることばかりで、
ぜいぜい20代までだったのかな、自分だけのために暮らせたのは


もう義実家の介護なんて、だからできません。
汚れものの処理と、食事づくりだけで人生を終わるのは嫌だわ

身内ならまだしも
他人のために人生を使いたくないな
もうあまり残されてないのに
もう6年も人に(身内だけど)差し出した。 


肥満の話から、こうこう終わり方をしちゃって、なんだか。。。。

PageTop

墓を考える

跡を継ぐ者のいない実家は墓じまい、を考えていて
この前、地元にいるきょうだいが住職に聞くと、
今までの墓を永代供養墓にするには、百数十万かかりますと言われた話は
書いたことがある。

墓じまいに? 

改葬(新たな土地に墓を移すこと)ではなく、しまってしまうのに?

つまり、永代供養墓を一基買うってこと
ああ、家を処分するのにも、墓をどうにかするのにも、全部お金、お金
新しくするのじゃなく、処分するのにかかるのだから
持ってないのが一番いいじゃない
っていう、乱暴な結論に到達しそうだ。

そう、義実家みたいに


ちょうど週刊朝日でも、さらっと墓について触れてたから買ってみたけど
死後、押し入れから骨壺が何個も出てきたとか、いかにも現代社会にありそうなお話で
身につまされる。

ロッカー墓を買うにもお金がかかるしな~
しかし住んでるところも箱の中、
死後も箱の中か、と考えただけで息苦しい。

そうだ、樹木葬 

いいな~ いずれ土に帰るんだもの人間は、と
一度は考えて、チラシを見たことがあるんだけど
え?20年で合祀?

ってことは、最後はその辺の他人のお骨と全部一緒くたになっちゃう?

そんな寺があるよね、
行き倒れとか身内のない人たちのお骨
(だけじゃないけど 希望者もOK)で作った塔とか立ててるお寺
それと同じ?
じゃ、そんなもの(樹木葬)に何十万とか百万単位で払うのもな~~と考えちゃう

例えば、そこが設定してる期間を20年としよう

でも20年なんてアッと言う間

だって母は20年以上前に亡くなったが、その樹木葬だとしたら
もう合祀されてるってことだもの

ちょっと早い気がする。

娘には、のどぼとけの骨を高野山は預かってくれて、
それも永代供養らしい。そんなに費用はかからないんだ。
私が死んだら頼むよ、と言ったことがあるけれど

実家は真言宗だったものが、婚家は浄土真宗とかでなじみがなく、
まだ葬儀もしたことがないし法事もしたことがないので、
全くあちらの宗派の様子が分からないし、実感もないのだけど
嫁に入ったから身体は浄土真宗で送り、
喉ぼとけは高野山行きで、ずっと実家の宗派の真言宗のお経で弔ってもらうことは、
本当に出来るだろうかと思ったり
自分にとっては浄土真宗はなじみのないお経だろうから、
戸惑って成仏できないかも~と思ったり
あの世に行く道すがら、右往左往しそう

今から心配している。
割と本気(笑)


夫の方はお墓もないし、まだ建ててもないが、
親に死後は適当に葬ってくれと言われてるそうだけど、

その辺に埋めるわけには行かないんだから

自分たちで見繕っておくれよと思う。 はなから投げ出してるじゃないの

どうしたものか

山の上の上の方に墓を建てたとしても、足が遠のいたり、墓掃除だ、なんだ
墓じまいだ、改葬だ、と超メンドクサイ

いったい安住の地はどこだい?

はて

今んとこ、婚家に入りたくなければ、ひそかに高野山にのどぼとけだけ預けてもらうって方法が
一番かな?

それか、
押し入れに眠ってるとか

ありうる


PageTop

娘は日帰りでお墓参りに行った

この前、お墓掃除に親が行った時は来なかったし、春の、
解体前の家の中の整理にも来なかったのに
ずらしてお墓参りに行くし、解体前の家にものちに一人で行って、
戸を開ける音とかの動画を撮って来てたという
単独行動の娘

そっちの方が気楽なんだろうかね

娘にとっても思い入れの強い家であったのは、
土と共鳴するかのような田舎の空気感が
心地よかったのだろうし、木で出来た家の解放感を味わったのも、
祖父母(うちの親)に可愛がられたのも、
ペットを追いかけたのも、その家で、だったからだろう。

大きいばあちゃんの夢を二回も見たから、
お墓参りに行ってくる

と言った

大きいばあちゃんというのは、母の育ての親 
おばあちゃんを区別するためにそう呼んでいた。
血縁は無い ことは書いたことがある。

随分前のこと、お肉(をよく食べさせてくれた)のきょうだいが、
大きいばあちゃんが布団をかぶってて、目だけを出してこっちを
じーーーっと見てた夢を見た。と言った。

夢を見るなんて初めて、おかしいなと思っていたら、
あとで、無人の古い家(離れ)を荷物ごと解体してたことを知った。らしい。
(地元のきょうだいはいつもそれ(勝手に)だ)
大きいばあさんというのは、古い家で倒れてそのまま意識が戻らなかった。
20年以上前のこと

311の数日前(後で確かめると前日だった)に、うわあああ、凄くうなされて目が覚めた、
と廊下を走ってきてなんだか怖い怖いと言ってた娘に、
何かと当ててるお肉のきょうだい
その二人が大きいばあさんのことを言う。

自分が亡くなったことをまだ知らないのかな


前置きが長かった。

そういうわけで、早朝から出て行った娘
お肉のきょうだいが、今回、お墓に行く道Aは何となく嫌だ、通りたくない、
あっちの道Bも嫌だというので、えーー風情あるし、懐かしいから通りたいけど、
気持ち悪いと言われたら通る気がしなくて、車で行ける道をたまたま乗せてもらったから
行けたものだから、娘にもなるべく避けるように言ったけど、
なんと行きはA 帰りはBを通ったと言う。
一人で通るのは自分でも嫌だけど、よくやるよ

(帰宅して言うに、道が寂れてた。トカゲばっかりいたと)やっぱ怖そうだ


実家も見てきたそうだ。
何もない更地は衝撃、なのは親と一緒
じいちゃんばあちゃんがいて、ペットがいて、庭で遊び、車に乗せてもらい、
幼いころの思い出が詰まってる容器が無くなったから、

売った土地(懐かしのおじいちゃんの畑だった)の場所にも行ったら、
豪邸(注:田舎では)が数軒建っていたと言う、(とても条件のいい場所だから
すぐ建つとは思っていたが想像以上にいい)
自分も後部座席から見たのみだったが、自分たちの土地だったのに、人のものか
と悲しくなったのと、田舎にいたら、そこに好きに建てることが出来た?
と思ったり。
今さら・・・・・

娘はお昼は田舎の純喫茶で定食を出してる、たまに介護時代の祖父などと行ったところに
一人で入ったそうだ。
歩いて行けるから何度も行ったことがある思い出の店だ。
会ったことはないけれど、引退した某男性アスリートもここが思い出らしいから
余計思い入れがあった

家もなくなり、お墓もしまってしまったら、娘も行く理由がなくなるのだろうけど
第二の故郷として、心に残っていくんだろうから、良かったと思う。


PageTop

日曜日は墓掃除日帰り

もう疲れた~

この時期、観光客やら帰省客でごった返してるし
その人混みをかき分け、新幹線にのって、お肉のきょうだいと
在来線への乗り換え口で待ち合わせ

在来線の中で、今日の段どりを話していた。
暑いから早く済ませようって

よりによってかんかん照りだから、早くお墓に行きたかったが
地元のきょうだい夫婦が車を出してくれたので、それに従うと
お昼になってしまった。 お花やしきびやお供え物も買うため
スーパーにも寄ったから、一番暑い時に、さえぎるものもないお墓に着いた。


暑い

周囲に砂利を敷き詰めて、雑草が生えないように作り替えた家もあったが
昔からのお墓は雑草が生い茂ってる。

雑草は根が深いから、軍手をつけた手でもすべる。
カマも使った。何基もあるので、汗が噴き出す。

前日にたまたまネットで、お墓掃除の老夫婦が倒れてて、息子62歳が探しに来ると・・・・
みたいなニュースを見て、気をつけなきゃとお茶とかを持参してたけれど、この時期の田舎の墓掃除は
経口補水液必携だと実感するくらいの過酷な暑さ

やっと掃除が終わり、お供えもして、実家で休もう・・・・と一瞬頭をよぎった
自分に驚いた
4月に解体したのに、まだその実態を見てないから

実家前まで連れて行かれた。
あそこの角を曲がったら見えて来るはず・・・・・が無かった。
雑草の生えた土地がでーんとあるのみ

自分で思っていたより、ぐっとショックが来た。
思い出の家がない。ずっと住んでた家がない。
意外に堪えるな~

その前で写真を撮った。 
何もない、ここで人が暮らしてたのに・・・・

どっと疲れていたところ
遅ればせに食事に行こうとなって、
外食したかった、なにかご馳走してくれるかしら、うどんでもいいや、とにかく何でもいいや
「外食」ならと期待していたら、貰い物が多くてだぶついてるので
珍しく家で何かを茹でると言う地元のきょうだい夫妻

気が変わった。

家で何かを茹でるのは毎日やってる自分 
嫌だ、外で食べたいのだ!、と体が叫んだのか
ここでおいとますると言ってた。
残ったお肉のきょうだいは夕方までいたようだが、自分はそのまま駅弁を買って
新幹線の中で遅い昼食を貪り食って、(家族のためにお肉系統の駅弁を二つ追加)
帰り、夕飯を簡単に作った。
万願寺唐辛子を焼いたり、トマト煮など

CIMG1786.jpg


夫曰く
外で食べたいのも本当だろうが、残りたくなかったんだよ、相性の問題もあるんだと


(相性?自分が言うなよ)


しかしいつまでこういうことを続けられるんだろうね、
墓掃除のためだけにお金と労力を使うこと
それも、熱中症で倒れる可能性もあることを


ふう
洗っても取れないや
軍手の汚れ
CIMG1787.jpg

手でごしごししたらいいんだけど、白の肉球が取れてしまいそうで…

PageTop

ゴキブリはお友達?

実家に介護に行ってた時、深夜トイレに行くと、
手前に手洗いと男子朝顔、奥のドアの向こうが便座

だったのね。

で、ある時電気をつけて、入ってすぐ
さささっとゴキちゃんが足元にやってきたから
ぎゃああとゴキジェットをシューーーっとして退治した。
ころりとそこに果てたゴキを放置してた。

明日処理しようと

朝、起きると、大きなカレンダーの裏に、マジックで

ゴキブリ コロスナ

と、サクラ サクラ、の尋常小学校時代の教科書のようなカタカナで
書かれたものが、流し台に置かれてて

歩くのもやっとな父がぷりぷりしてた。
わしの友達を殺したな?


はあ、友達?
ゴキブリが?

長い一人暮らしでおかしくなったのか
我と遊べや そこのごきぶりかいと

ごめんごめんと謝って
それ以降は、コンバッ○のおかげもあって
そういうことはなくなったのだけど

のちにそれに似た話を聞いて、ぞっとしたのは
本当に怖い話ってのをyou tube でたまたま見た時に
東MAXが、恐ろしそうに話してた話があって、
あまりに類似した話に膝を打ちました。

親の代から欽ちゃんと親しくて、数年前(この番組の放映の)
、東MAXは大将のお家に行ったらしい。

夜10時ごろ、居間でくつろいでいたら、目の前にゴキブリがやって来たので
その辺にある紙を丸めて、パンと叩いて仕留めたらしい。
そうしたら、欽ちゃんが激怒して、

なんてことをしてくれるんだ、
俺の友達だったんだよ?
夜10時になったら現れて、クッキーをやったら、頭をこうやってぴょこんと下げて
ありがとって挨拶して帰って行くんだよ?
なのに、お前はなんてことをしてくれたんだ

と二時間たっぷりお説教されてというか怒りをぶつけられて
まあ、怖い話でしょ?と
ローソクの炎の前で話を披露して、皆がぞーっと
震えあがるお話

をのちに聞いて
ああ、父は欽ちゃんと同じ 
トイレに行って電気をつけたら、必ず足元に現れてくれるゴキちゃんを
憎からず思っていたんだ、と
その時やっと気づいたのね

私は当時ひどいことをしてしまったんだ。

コンバッ○の話から膨らみましたね

PageTop

実家はゴキブリ天国だった 高層マンションにはほぼいない

実家にはいましたね~ごきちゃん
今はその家もないけれど

さてゴキどころか、ムカデにバッタ、大きな蜘蛛、便所コオロギに
カマキリに
トンボや蜂が家に飛び込んできて
逃げ場を失ってぶんぶんとか

たまに猫のお土産のトカゲにネズミに小鳥に

父一人になってからは、違う原因でのゴキブリ天国になっちゃった。

なぜなら、猫缶を開けて、上だけしか飼い猫が食べなくて
つまり開けたてしか食べなくて、父はそのまま放置してたから
悪臭とウ○とにまみれたものを、新幹線に乗って在来線を乗りついで
バスかタクシーを乗り継いで
着いたとたんに、どろどろになったそれを処理し、掃除することから始まったのね
人間様の汚れもたいがいなのに、それから始めるつらさ

今 思い出してもつらい。

息子の8歳くらいの絵日記に、
おじいちゃんの家のゴキブリの集団移動の姿を描いたら
先生のコメントに
なんでそんなにゴキブリがいるのでしょうね??
と書かれてた。

説明しづらいものがあるよね
セルフネグレクトの男の20年間の始まりに
たった数年でそうなってしまったもの

ゴキジェット(緑いろの)のは単体に効く
それは凄いものがある

しかしもっとすごいものがありまして
ある時
コンバッ○を買って設置したら
パタッとごきちゃんの出没がなくなったのです。

いったい何が起こったの???

それくらいパタッと
消えた。

ゴキ話は続きますけど
とにかくキンチ○ョーの回し者じゃありませんけど
すごいものがあるんだな~と思いました。

そう思ってる方いらっしゃいます?

ただ、難点が

12個?くらい入ってるのだけど、
家のどこに設置したか忘れること

どこどこのドアの裏、とかメモしてたらいいですよ


PageTop

実家は倒した後は見てないので、実感がわかない

田舎のきょうだいから電話があって
ぐちぐちと、最後の家(一番新しかった家)の解体に400万弱かかった(さかのぼること20年前には、古い家を解体している)
そのあと、雑草が生えてきてる、それを刈らないと
だけど、今 肺炎で通院している
疲れてる

ぐちぐち

そして、墓じまいのこと
あの列のお墓を全部一つにまとめるには、土葬だったものは土を供養?してもらって
壺に入ってるものは、一つにまとめるとしたら、一基、永代供養用のお墓を購入しろと
住職に言われてる

は?永代供養用の場所はないの?

買うんだ


なんてしんどいことだろう

墓じまいのために、新たにお墓を買うとか

一つの家をしまうのに、どれだけのお金がかかるんだろう

目まいがしてきた。

まあ、ここはぐちぐちを言われても仕方がないわ

お金は、相続したものからプールしてあるにしても
かかる労力はきょうだいが主だから

難儀だな…

それにしても、自分の頭の中には、あの実家がそのまま焼き付いているのだけど
もう無いのか、と思うと、喪失感に襲われる。


PageTop

田舎に帰ったというはがきが来た

中高同級の女子が、夫(地方公務員)の定年を機に
夫の実家に戻ったと言うはがきを貰った。

彼女は中学から同じで、同じ町内ではあるけれど、横に長い町なので、実家は離れている。
都会の短大を出た後、すぐ田舎に引っ込み、お見合いで結婚を早々に決めた。
お相手は、なんと同じ町内だけど、顔も知らなかった二学年上の男性だった。

だから、実家と義実家がとてもとても近くて、便利だったか、いやだったかは
それは聞いてないが
義実家の親は死に絶え、とうとう夫の実家に住まうことになったらしい。

あばら家に住む、などと謙遜しているが、手入れもされていただろうし、
実家は徒歩圏
なんといっても、生まれ育った土地に帰ってこれたのだ。

急にここにきて、実家を失ったことで、相当精神にダメージを食らってると気づいた私は
羨ましくて仕方がなかった。

家というものは、色んなものの象徴だ。
ステイタスシンボルという人もいるだろうし、
安定、安らぎ、思い出・・・・
ほかに何があるだろう?

この前も書いたが
出戻って、一人、猫とともに住み、庭に小さな畑を作って作業し
幼馴染と方言丸出しで、お茶でも飲みたいと、年を取ってからは夢見たね。

現実は、ロッカーのお墓に入れたらマシ、くらいで、
コンクリートジャングルの街で、コンクリートの中で、動きの殆ど無い暮らしを
するのかな

やだな
家を磨くだけの生活って
生産性がない気がする。
土の活力とか、山の木々が芽吹いてくるとか、田舎ものはそれを知ってる

PageTop