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どんぶり勘定のアラカン主婦の日々

気ままに綴ります、おばさんライフ

太り方が尋常じゃないのは労働が少ないから

体重だけじゃない、体形がやばい。

自分比で最高に醜い体型
妊娠8か月、くらいのお腹


息子に付き合って起きてたから、
外に行かず引きこもってたから
も、あるけれど
介護が急に無くなったから、もあると思う。

それほどハードな運動だったのだろう。

当時、まずこちらで朝から二日分の食事を作ってラップして、
もうここで疲れてる
(当時は夫だけ 子供たちは一人暮らし たまに帰って来てたことも)
あれこれ指示して、
さあっと荷物を持って、新幹線に乗りに行く、

けれど、そうそう駅が近いわけじゃない。
これが土曜日
混んでいる。

そして、やっとあちらの新幹線の駅についてからは、在来線に乗る。

実家近くのスーパーまで、バス停から降りて歩いて行くと、
帰りは実家まで重すぎるので
介護の最後の方の時期は、着いた駅に歩道橋で隣接するショッピングセンターで
買うことにした食料

しかし何袋にもなって重いから、節約のため、2000円以上するタクシーに乗らず、
本数の少ないバスに乗るから、このあたりで既に疲労困憊

真っ暗だし、うら寂しい気持ち 
これから楽しいことが待ってるわけじゃなく、つらいことが待ってると思うとね。

バスから降りて、実家までまた歩く。
街灯が暗すぎる、怖い。

玄関は開け放してる。が悪臭が漂ってるのが分かる。
荷物を持ち、足を踏みいれる瞬間が憂鬱の極致だった。

あの家がこうも変化するとは

着くと、老人はあちらのゴミ化した部屋(応接間と呼ばれてた場所)で寝てるから、
顔だけ出して、こちらで買った総菜を食べ、ひどい汚れの家を大まかに片付け、
朝食の準備をし、寝る。

大まかな片付けと言うが、かなりレベルが高い。
腐ったもの、○ジの湧いたものを泣きながら処理 
ペットボトルの中の腐ったものは洗ってつぶす。
今にも膨満して破裂でもするんじゃないかってくらい。
自分は着いた日は、入浴すら出来ない。


日曜は朝からないないづくしの実家でごはん
 そして大量の洗濯物 最後の方はこぼしまくってたし、
自分が失敗したズボンを何枚も隠してたり、悪臭に満ちていたっけ
流してないトイレ(まだ歩いていた時ね)、ドアに塗られた・・・
泣きながら拭く

洗濯機を開けたら、こんもりと失敗したパンツとズボンが二枚重ねで入ってたり

もしかして、私がいない間はこのまま回したことがある?
オエー
その洗濯機で自分のものも洗うのだから、きっと汚染されてただろうな

要支援じゃなく、もうこのころは要介護2とか3だったと思う。

(なぜ施設に早く入れなかったの?という疑問を感じられるでしょうが
ハイハイになってても、本人が断固として拒否

遠くから家族を放置して来てくれているから、楽をさせてあげたい、娘に申し訳ないなどと
考える能力は、もうありません。)


お風呂の準備も大変 老人の体が動かず、
例えは悪いが、焼死体のごとく腕も足も固まったような人を
着た切りすずめの服を脱がせるのに大変な汗 
入浴させるのも汗
着せるのも大汗
汚した布団を洗ったり干したり、やっと乾いてきちんとセットしてやる。

庭の草取りをしたり、伸びた枝を切ったり くまん蜂に追われたり
たまったゴミを集めると10個以上になったこともある。
それを一人だけで長らくやっていた。
(娘が参戦してくれたのは最後の二年)

夏掛けとか大きな干し物は二階の屋根を使う。 太陽が当たって早く乾くから
車の屋根まで使った。
ここも早く乾く。
たった二泊三日だから急ぐのだ。 雨だと最低

 階段を何度登って降りたか

まともな手作りのご飯を食べさせてやれるのは、着いた翌日のみ
三度、家事の合間に作る。 自転車で買い物にも行く。
(私は免許なし)(老人は免許は返上してた)

さっき書いた入浴させるのはこの後ね
そして夕ご飯

この夜は自分も入浴できる

で、最終日は月曜だったから
ゴミ出しを、歩いて200mは優に離れてるゴミステーションまで何往復も
(缶とかビンとかはたまる一方だったのね、出せなかったの。)

もう一度入浴させて(最後の方はもう無理だったけど)
お昼を一緒に食べて、夕食まで早めに用意して、使ったものをすべて洗い
室内に干して、最後の片づけをして 掃除機もかけて
後ろ髪引かれながらさよならする。

何にも出来ない老人を置いて行くのが何ともつらかった

(帰り始めたのが、このままでは殺されると思った時から
そばにいるきょうだいが何もしてないのは知ってたけれど、
家の荒れようが尋常ではなくなって来たから)(
このきょうだいとはトラブル発生)

そうして、こちらの家に乗り換え乗り換え帰って来て
荷物を置いたとたん、休む暇なく遅めの夕食を作り始めるという生活

何度食事を作ることか

バタンキューという言葉を使わせてもらう
がまさにそれ

これを6年続けた。

最初もすいぶんつらかったけれど、
年を追うごとどんどん量が増え、重くなり、
最後は、自分も死ぬかもとさえ思ったことも

行くのがつらくてつらくて地下鉄で、ホームに電車が入って来たとき、
ふらぁ~っと吸い込まれそうになるから、じりじりと後ずさりをした変なおばさんだったり

何かがオープンしたとか、何かがリニューアルしたとか
明るい人の流れがあったとしても、大きな荷物を持ち、逆行してた。

その間に年を取った。


こういうハードな生活が、介護認定をやっと受けて
(こちらから実家近くの地域包括センターに
相談したってわけ)(相談したのがきょうだいの中で私だけだなんて、ぼんやりしすぎ)
デイに通うようになって、すぐ発熱して入院 そしてそのまま・・・・・・・で
通う生活は終わりを告げて、身体が一気に楽になったら
今度は息子がこうなっちゃった。


そうして、ぶくぶくと肥える肥える


私は誰かのために生きることばかりで、
ぜいぜい20代までだったのかな、自分だけのために暮らせたのは


もう義実家の介護なんて、だからできません。
汚れものの処理と、食事づくりだけで人生を終わるのは嫌だわ

身内ならまだしも
他人のために人生を使いたくないな
もうあまり残されてないのに
もう6年も人に(身内だけど)差し出した。 


肥満の話から、こうこう終わり方をしちゃって、なんだか。。。。

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コメント


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介護費用

こんにちは 
遠距離介護の苦労、きれいごとではないことがよく伝わりました。
交通費や地元での買い物費用など、出費はどうなさっておられたのでしょうか。

もじこ | URL | 2017-09-18(Mon)12:26 [編集]


初めまして

全部自腹では続けて行けては無いと思います。
私学に通う大学生もいて(当時)新幹線往復と生活費を出していたら、我が家は破産でした、きっと。

途中までは自腹でしたが
現地での食料を買うお金とか、片道くらいはくれるようになり、そして、徐々にレシートなどを合算したものをくれるように進化しました。

一瞬ボケているときはくれなかったことも(笑)
4年目くらいに突入した時、何を思ったか18万円くれたこともありました。一回だけ
娘は自腹を切ってました。頭が下がります。



節約のために、留守の間、外食をしないようにと、ごはんを作りおいて行きましたが、押しつけがましくて迷惑だったかも(笑)
大人の紙おむつやら、ゴムのゆるい介護用靴下(脱がせやすいように)とか、どこそこが開いてる服とか、かかるところが違ってきますし、お金はかかりますね。

お金は貰っていたのかと言われそうですが
目に見えないお金はたくさんかかっていたと思います。
赤字です
そして、差し出した時間は戻ってきません。

しかし、年よりはお金を持っていなきゃ、と思いました。
それも出来るだけ多く(笑)

どんぶり | URL | 2017-09-18(Mon)15:02 [編集]


献身

初めまして!
どんぶりさんの本音に共感し、もの思う57歳主婦です。
丁寧なお返事ありがとうございました。

老親に介護費用を「頂戴」って、なかなか言いにくいですね。
親が自ら費用をくれる状況なら、遠距離介護継続できる可能性が高まると思いますが、
言わないとくれない、言ってもくれないなら、困りますね。

あと、介護に通っているときに、
姉妹から「親にお金もらってるんでしょ」と
聞こえてきたり、やるせないことが多いと思います。

もじこ | URL | 2017-09-18(Mon)16:15 [編集]


もじこさまはちょっとだけ年下

悩み多き年頃ですよね。

親がくれないと困りますよね
自分たちが老後になる前に、お金が無くなってしまいます。
共倒れって、どこにもあり得ますよ。


うちの場合は、敵は老人だけじゃなく
強引に帰って来る、と、きょうだいにうとまれて
まあ色々ありました。

外野から見ると景色は違うでしょうし
お互いさまでしょうね、これからは


とにかくお金が無いと、老人は捨て置かれます(笑)
自分は、だから、そのへんに転がってるかも

どこかのホームで、楽しいゲームで遊ぶより、
畑の畝で倒れていたい、
のが本音ですが、
田畑も無く…

さあ、老後の沙汰も・・・・
頑張りましょう~


どんぶり | URL | 2017-09-18(Mon)17:08 [編集]