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どんぶり勘定のアラカン主婦の日々

気ままに綴ります、おばさんライフ

母は養女だったけど養母より先に亡くなった

子供のいない夫妻が、夫の腹違いの弟の子を貰った。
 それも二歳前に母親に死なれた子を

一人っ子で育った母(生きていたら90歳)は、その事実を何にも知らずにいて
ある時、級長だったから、先生に頼まれて、
職員室で一緒に皆の戸籍を整理していたそうだ。11歳の時

(今じゃ個人情報なんとかで大変なことになってるよね)
当然自分のも見るよね
そこに養女とあって、ものすごく衝撃を受けたそうで、
その日のことは、事あるごとに聞かされた。

急にお母ちゃんと呼べなくなったそうだ。
どうしても無理になったと

父親と呼んでる人は、かろうじで自分の父親の血縁だったから
可愛がってもらってる実感はあったそうだ。
孫の自分は、祖父の記憶が殆ど無くて、どんな人物だったのか
あとで聞いたくらい

成育歴でどういうことがあったのか知らないが
父(お婿さん)が来ても、どこか水臭い家庭というか、
いつもピリピリしていたと思う。
私たち孫も、本当のおばあちゃんじゃないことを、
小学校高学年で知ることになったのだけど
血のつながりが無いと分かっただけで、急に白々しく思えるのは何でだろう。

こういう時の対処の仕方で、人間力のありなしが見えてくるね
とにかく我が家は無理だったようだ。

前も書いたが、本物の親子のやり取りを見たことがないまま育った。

それでも離れに祖母が住んでいるし、事情を知らない人たちは
普通の家族だと思われていただろう。
怖くてキツい祖母のいる人だと。

祖母の姪が徒歩五分くらいのところに家庭を持ってて
母は、祖母にいつも姪の名前を出されて、
いざとなったら〇〇〇(姪の名前)に世話になる
と機嫌を損ねては、家を出ていくみたいな脅され方をしたようだ。

一歩も家を出たことのない母(嫁いでもないし、井の中の蛙で生涯を終えた)には
今の生活がすべてて、逆らえずにいたようだ。


ところが、母が69歳で入院した。同時に手術もしたが、
もう帰って来れない病いで
周囲だけがバタバタして、地元のきょうだいは毎日来るし
遠くから幼い子たちを連れてお見舞いにくる私も、他のきょうだいも出入りし、
何かが起きてることは祖母には分かっていたとは思う。

自分はもう死ぬから
還暦あたりから言い続けていた祖母は98歳になっていた。

母の入院中は、子供のいないきょうだいが仕事を放置して
遠くから参戦
患者に付き添ってくれて、病院と実家を往復しては、
家の食事も変わらず作ってくれたので(地元のきょうだいが
作るべきなのに、父にも何も作ってやらなかった人だから、いわずもがな

祖母と父は変わらない生活が出来た。
(葬儀後、付き添ってたきょうだいは、疲れ果てて肺炎一歩手前)

そうして、二か月後、遺体が実家のお座敷に安置され
友引だからなどとこちらで相談する中
私は見た。
98歳の老婆が声も出さず泣きじゃくっているのを

誰も忙しくしていて、家で葬儀をしたので、町内会の長も来たり
ドタバタしていた隙間に、布団をずっとのぞき込んでいたのを
誰も気に留めずいたが、私は見ていた。

血縁でないというのは恐ろしいことだ。
蚊帳の外
長年一緒に暮らしても

誰もに激しい気性を嫌われ、家事はすべてを母に任せ
そう、育てた義理の娘にまで世話はされたが
最後までそっぽを向かれていた人だったが
70年近く子供として接してきたものに死なれて
悲しくないはずがないだろう。

父はその祖母を嫌い、同じ食卓にもつかなかったのに
残されたのはその二人

母親の死期を早めてしまったのは、祖母のせいだと言い始めるきょうだいもいた上、
父は母の入院後からおかしくなっていて、私が新幹線で駆けつけ、
付き添いしていたきょうだいと会って父と地元のきょうだいも病院から呼び出され、
皆で臨終をみとったあと、付き添いきょうだいと自分とで
一足先にタクシーで駆けつけた実家は、
なぜか色んなものが入ったスーパーのビニール袋が、何十個も居間に散乱していて、
異様な光景に立ち尽くしたが、まずは泣きながらそれらを片付けるという、
それはそれは悲惨な通夜準備だった。

前夜、病院から危篤という知らせを受けた父は、発狂でもしたか

友引だったので、延びた葬儀だったが、真夏なのに、家の布団に寝かせた遺体が
何ともならないのが不思議だったし
生き返らないから、やっぱり母は死んだのだなとぼんやり思ったり
こちらもおかしくなってたかな

最後の棺に蓋をする前にも
祖母は静かに泣きじゃくっていた。
おかしくなった父に、祖母を目の端にも入れないきょうだいたち
こちらも病みそうだった。


さて、付き添いも終わり、葬儀もおわり
食事の支度をする人が仕事にも復帰することになったけれど
地元のきょうだいは、遠くから来ていた人の労働に甘え、ごはんの出来ている実家に
泊ることしばしば
父の介護の時も、何もしなかった人だから

今後、家事の出来ない父と、98歳の年寄りが残されることになって、
後ろ髪を引かれながら、幼い子供たちと帰って行ったが
8か月もしないうちに、祖母は離れで倒れて、一週間ほどで病院で息を引き取った。
それが20年前

思い出すと、母の葬儀のあと、自分を入院させないでくれ(当時の姥捨て 今思うと優雅だ)、と
年金をためた現金の束を見せて
家にいさせてくれと父に懇願する老婆を見て
他人の中で年を取ることの悲しさ をひしひしと感じた。
我が家が冷たかった?
のかもしれない?
かも、知れない。

でもしかし養女を迎えて67年後
こんな最晩年が待っていると誰が思うだろうね。

その祖母が亡くなるまでの8か月のひどさは、とても言えるものじゃなく
まともに食事も作っていなかったのを見た。

だって、父がまず自分のごはんすら、どうしようと悩んでいたのだから
(自炊出来ないってことは本当にだから残念なこと)

私も嫌っていた祖母だけど、世話にはなったから

最後に祖母の孝行が出来たのは
3か月お風呂に入っていないのを引っ張って入れたことだ

地元のきょうだいが、歩いて行ける事務所にいるのに・・・
悲しくてたまらなかった。
こちらは遠方で、幼い子供連れなのに

でも、祖母の場合は長生きしすぎたなぁと思った。

長生きしてもしんどいことが多いよね
子供に先立たれることもあるだろうし

父の場合は、生ける屍になったまま20年
死にたくても生きていたし、それはそれは苦痛であっただろう。、
また、この世の中、生きたくても死んでいく人もいる

理不尽だ

しかし何が言いたくて、祖母の話を出したのだろう。

そうそう、結局祖母は、母をいつも脅していたのだ
すぐそこにいる姪のところにいつでも世話になるぞと

ところが、一年に一度も顔を見せることも無く
母が亡くなっても、葬儀には来たけれど、伯母(祖母)のところには一度も来なかった。
徒歩5分でも
姪にも嫌われていたのだろうか


人間、どうやって生きてきたか、通知表を貰うときが来るのだろう。
血縁の中でも
他人の中でも

しかしだ、
オール5だったからと言って、よい終末が用意されているわけでもないだろうし
それがとても困る
家族関係もどう変化するか分からない。
いったい良い終わりってどんな?

家族がいるってことはいいこと?
うん、少なくとも、たった一人で生きるよりはいいよね
上のような確執もあったりしても

さて、今のままだと、子供たちだって一生独身かもしれないし

いろんなしがらみを抱えなくてよい分
親亡きあと、夕刻 どこの家からも香って来る、夕餉の匂いのなか
、一人、誰も待つ人のいない家に帰る自分
どうして家族をもたなかったんだろう?なんて思ったりするかもしれない。

また話が逸れた。
子供と言う存在は
親にとっていったい何なんだろう?

どうして、自然界のものは
命がけの繁殖で、DNAを伝えるの

親は、すべてを子に与えて、果てる

それでいい

それが一番平凡で正しい生き方なのかしら

いったい何を言いたいやら
すみません


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